No.0054:労働生産性 〜 さっさと終わらせて家族のもとに
2018.05.29 

 労働時間の短縮は、2人の小学生の子を持つ共働き世帯の父として喫緊の課題です。最近はブラック企業、パワハラ、過労死といったシンボリックな言葉へのメタメタな批判でも分かるように、長時間労働をダメとする風潮が世間で強まっていますので、長時間労働による自己犠牲な奉仕は、会社への忠誠心の証、みたいな、これまでの感覚は随分と希薄になってきたように思います。

 かつて私は家庭の事情でサービス残業を断り、その替わりに自宅で対応することに批判を受けていたことがありました(あくまでもサービスな残業であったにも関わらず・・・)。管理者の目の前で働くことが評価の対象であることに私は強く不満を感じていました。また別の環境では各個人の役割が曖昧で、早く仕事を終わらせても結局は新たな仕事が割り当てられるばかりで、生産性向上のやる気をそぐようなことが一般化していました。ですので割り当てられた仕事を、急ぎすぎることなく、かつスピードが上がらない原因を自分以外に仕向ける人が意外と、安定的に評価されていたように思います。そのような方は、危険察知能力がキラキラとしてましたので、可能な限りの危険を避け、危険ではない仕事を、自分を護り(他者の責任に転嫁し)ながら継続する能力に長けており、そのような方々が最終的に残っていくような環境でした。このようなことが少しずつ少しずつ改善の方向にあることを願いたいものです。

 それでは一体、企業はどのようにしたら労働生産性向上を実現出来るのでしょうか?幾つか例をあげていきます。まず、ここ数年で 自社(自分)にとって、勝負できること、自社(自分)だからできること、つまり強みに、より人、時間を割り当て、そうでないことは自社(自分)でやらずに、外部に任せる(アウトソース、BPOなんて言われてもいます)傾向が強くなっています。代表例として企業への問い合わせ窓口を外部の企業が提供するコールセンターのサービスに任せる、また共働き家庭であれば、料理代行サービスを利用して夕食を自宅で作って貰う、といったことが挙げられます。そのような専用の外部サービスを上手く活用することで、企業は得意な最もライバルに差をつけれることに専念出来ますし、共働き家庭では帰宅後のせわしくない家族の団らんを楽しめます。このように外部の力を借りて自分たちにとっての大切により時間を仕向けることで、限られた時間の中で、より大きな成果が期待出来ます。

 私がITの仕事に従事している中で、 生産性向上の観点で最も注目している技術がRPA(Robotic Process Automation)です。簡単に説明すると工場の生産現場でのロボットによる自動化のようなことを、デスクワークにも適用することです。流行りまくっているAIに、その概念は少し似てはいますが、かなり大雑把に言いますと、AIは多くの情報をもとに自分で判断、実行する、RPAは人間が指示した通りに実行する、といった違いがあります。AIと言うと流行り先行といった感が未だ否めないですが、RPAは直ぐにでも現場に適用させ、その効果を実感できる、地に足のついたイメージが私にはあります。なお「Robotic Process Automation、ロボットによる業務自動化」と言っても、ロボットが席に座り、命令に従ってパソコンを実際に叩くワケではありません。パソコンの中に住んでいるデジタルなロボットに、特定のタイミング(例えば、今後3ヶ月の間、30分おきに)で、行うこと(例えばアメリカの株価を掲載している新聞のサイトから株価をコピーして、所定のexcelにコピーする)を指示しておきます。そうすることでロボットは人間とは異なり、台風によって電車が遅延したり、インフルエンザにかかり高熱にうなされたり、付き合っていた女性と別れた失意の朝であったり、というようなことで業務が停滞することなく、淡々と任務を毎日、毎日、全うします。このように ロボットは人間のように飽きることなく、ミスもなく、心身の状態に影響されることすらなく、リビングの時計がカチカチと正確に時を刻むように、永続的に誠実であり続けます。

 このRPAを利用して、大幅なコスト削減をもくろんでいるのがメガバンクです。新興企業がフィンテック(ITによって革新的な金融商品、サービスを提供すること)を活用することで、銀行から決済、資産運用、融資といった主要業務が奪われる、といったハンパない危機感がもとになって、メガバンクは日々繰り返される定型業務をRPAで代替することで人員を削減し(みずほフィナンシャルグループをはじめとしたメガバンクが次々に今後の大幅な人員削減計画を発表し、ちょっとした騒ぎになりました)、フィンテックを提供する新興企業を迎え撃つ作戦を実行しているようです。マイクロソフトの創業者であるビルゲイツがかつて「 銀行の役割が今後もなくなることはない。ただし、必ずしも銀行の役割である必要はない。」みたいなことを言ってましたが、それが少しづつ現実味を帯びてきました。そういえばこのところ私は銀行に足を運ぶことは滅多になくなりました。殆どのことがパソコン、スマホで完結出来てしまうからです。私はそのような機能を持たない銀行は利用しません。このことは私の生産性向上に少なからず貢献してくれています。

 私が今後、行っていきたいことがあります。どういうことかというと、 ロボットと人の特性を十分に理解した上、適切な役割分担をすることで、人間が日々のつまらない繰り返しから解放され、時には頭を痛め、時には吐き気を催しつつも、ワクワク出来る創造的なことに少しでも時間を費やせるような状態を作り出す、お手伝いすることです。一人一人がロボットと上手く協働する、つまりロボットは日々の決まり切った仕事を人間よりも圧倒的なスピードで圧倒的に正確にこなし、人はそんなロボットでは困難な、関連性の薄い事柄同士の組み合せの発見、理屈なんて必要ない感性、人の感情を読み取る洞察力、等々により個性的なアウトプットを行うことで、労働生産性を向上させ、かつ家族とのふれあいを、ないがしろにしない生活が実現できると考えています。そんな素敵が目の前に姿を現しつつある今、このような機会を得られたことに、とてもワクワクしています。さすがに私の指をかみ傷つける憎くも愛らしい犬との散歩といった定型業務(創造的休息とも考えられます)からは逃げられない運命だと覚悟していますが。
家族の大切さを感じるOASIS