No.0051:エシカル ~ 法の前に人として
2018.02.26

 仮想通貨の流出、メーカーの品質偽装、ブラック企業における悲惨な労働実態、といった問題が紙面を賑わせています。こういった問題が起こると「法的観点では ~ の抵触懸念がある」なんて小難しいことを耳にしますが、それって最低ラインであって、もっと感情的に納得感のある道徳観のようなことが前提にあっていいように思ってしまいます。少し前までは、このようなことの 企業に求められる姿勢としてコンプライアンス(決まりを守ること)がうるさいくらいに言われてましたが、最近は標題であるエシカル(道徳的に正しい)とかESG(環境にやさしい、社会の役に立つ、インチキしない)という言葉に置き換わりつつあり、より社会は成熟に向かっているように思います。

誠意って何かね?
 私は最近、お金を払った業者が倒産してしまい困り果てて何人かの弁護士さんに相談する機会がありました。結果として法律上はもうお金が返ってこないであろうことはほぼ間違いなく、どうしようもない状況であることが分かりました。ただし、倒産に至るまで業者にも様々な都合があったのかもしれませんが、不誠実な対応、例えば謝罪は愚か、経緯の説明も全くなく、ひたすら逃げ回っている、といった姿勢には怒りを感じました。映画「北の国から」で菅原文太が発した「 誠意って何かね?」って言葉を思い出してしまいました。

マネーゲーム
 2月の初め、株価が大きく揺れました。ニューヨークでは瞬時に株価が大暴落するフラッシュ・クラッシュと呼ばれる株価のグラフに深い絶壁が形成されるような現象が起きました。そんな中、私も幾分、落ち着かない日々が続きました。株価変動(ボラティリティ)の大きさの要因として、株式取引の大部分を占める(ニューヨーク証券取引所での生身の人間による取引は2割程度らしいです)人工知能などコンピューターの判断による莫大な売りの連鎖があったと言われています。そういった 過度のマネーゲームみたいなことが活発になると、株式本来の「応援したい企業にお金を出す、企業はそのお金を利用して発展に向けて頑張る」といったお金の流れが阻害されるように思います。今のところ法律的には問題がないのでしょうが。

失敗はプライド
 世の中の決まりどおりに考えると失敗はダメなこと、避けるべきことなのかもしれません。ただし、先の見えない、答えが用意されていないことに、挑戦する場合、失敗の中から学び、試行錯誤を繰り返して行くほか、方法はないように思います。国民一人あたりのベンチャー企業への投資額が世界一であるイスラエルでは 失敗の数が一種のプライドのような価値となるそうです。絶望の底から這い上がることでしか学べないこと、身につけられないこがあるように思います。失敗への見切りの潔さとか、ピンチの時の肝の据わり方とか、人に優しすぎることのない厳しさを伴った協力関係の保ち方とか、幾つかの良を諦めないことには最良を得ることは難しいとか、そういことです。

釣れないときは、魚が考える時間を 与えてくれたと思えばいい。
ヘミングウエイ

やり残した感が次に
 似たような話で、かつてフィギアスケートで活躍していた村主さんが現役引退の判断に悩んでいた時に妹から「 有終の美を飾って終われる選手なんて、ほんの一握りなんだよ、それ以外の選手というのは、みんな志半ばでやめていく。だけども、その時点では半ばかもしれないけど、その思いがあるから次に進んでいけるんだよ」と言われ、次のステージに進む決断ができたそうです。現役引退についての決まりなんてない中、素敵な「道徳」的なアドバイスだったと思います。

儲けばかりでも綺麗ばかりでもなく
私の大好きな明治時代の実業家である渋沢栄一さんは次のような言葉を残しています。

富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。
「論語と算盤」より

一方で、みずほFGのCEOの佐藤康博さんは次のようなことを言っていました。

強くなければ、優しくなれない。

 儲けばかりでもなく、綺麗(社会貢献)ばかりでもない、儲けと綺麗を両立できるような、いつかそんな風になれたらと思っています。今は儲けを何とか捻出することに精一杯で綺麗ごとを言う余裕に乏しい状態ではありますが。
エシカルなスティーヴィー・ワンダー