No.0033:マーケットイン〜「出来る」ではなく「喜ばれる」をする 
2018.08.23

ポケモンgoへの広告ニーズ 
 ちょっとした社会現象となっているポケモンGO。皆さんはもうやりました?私は日本より早くリリースされたアメリカでのフィーバーの報道、きっと随分と後になって、今では当たり前だけど、振り返ってみると、あーあれが始まりだったんだと言われるような常識を転換してしまうような、そんなゲームだ、みたいなことが言われていましたのでリリース初日の夜の21時過ぎに、興奮を抑えながら、もう寝なければならない子供たちを連れ出しポケモンを探しにいくダメダメなオヤジと化してしまいました。

 そんなポケモンGOについて新聞、雑誌などで論じられていることではありますが、実体験を通じて改めて凄い!と思ったことが2点あります。一つは外に出る強烈なきっかけとなることです。私はかなりの運動不足です。それこそ、それを大げさに例えると就寝、起床時の自然に必要となる1回の腹筋が一番の運動と言えるかもしれません。そんな私がポケモンをゲットするために子供たちと面倒くさーと思うことなく外出し歩くきっかけになっています。もう一つは優れた集客ツールになり得るということです。マクドナルドに行くとツールがゲットできる、バトルができる、なんてことで、それを目的にマクドナルドに足を向ける方が多いようです。そんなことで期限切れの食材使用の問題で暫く経営不振が続いていた同社が、随分と盛り返すのでは?と言われています。 お客さんの価値観の多様化や、ネットによる口コミの影響力の拡大で広告効果が低下しつつあると言われている中、お客さんを効果的に呼び込むにはどうしたらいいのだろう?といったニーズに対する明確な答として今後の動きが楽しみです。 

出来る と 喜ばれる
 説明が遅れましたが標題のマーケットインとは買い手であるお客さんの喜びを徹底的に分析して、それに沿った商品やサービスを提供することです。その一方でプロダクトアウトという考え方があります。売り手側の持っている能力、例えば、経験によって得た知識や技術、保有している設備を活かして、できることをするということです。かつてはみんなと同じ喜びがステータスさらには自慢、満足になるなんてことで、それほどお客さんの喜びを考えることなく、作る側が一生懸命になって良いモノを作ることだけが第一に考えられていました。がしかしお客さんである人口が減り始め、なおかつ個性を大切にしたい、つまりお金をたっぶり払っただけの軽薄な消費による物質的な豊かさへの???、みんなと同じはむしろ格好悪いと考える人が増えたことで、お客さんの喜びをもっと考えないと!つまりマーケットインの重要性が増しているのが今の状況です。私が10代だったバブルの時代とは隔世の感です。 


僕にとっての喜びの時
ラーメン屋と農業にみる「出来る と 喜ばれる」 
 以前、 ラーメン屋の商品はラーメンそのものではなくて、そのラーメン屋に来るお客さんの動機が商品だというお話しを伺って軽い衝撃を受けたことがあります。ラーメン屋に行く動機と言ってもお客さんによって様々です。サラリーマンが飲んだ後のシメとして軽く食べたい、体育会系のお金に余裕のない学生が部活の後の空腹を満たすためにガッツリ食べたい、OLが談笑しながらあっさりとしたラーメンを清潔感のある店内で食べたい、などなど、挙げていくとキリがありません。誰に喜んでもらいたいのか?的を絞って、そのターゲットに喜んでもらうために試行錯誤を繰り返しながら、徐々に認められる、そんなふうにありたいものです。

 これから、農業について研究してみたいと考えてまして何冊かの本を読みました。そこで印象的だったことが欲しがられているモノが何なのか?十分に把握していない農家の方が少なくないということです。補助金や定められた買取価格によって考える必要性に乏しい、つまりそんな面倒なこと考えなくてもお金になってしまうことが大きな要因のようです。また定められた買取価格によって、お客さんを喜ばせるための本気の工夫によって作られた農作物と、そうでない農作物が一緒くたにされてしまうことで、良いものを作るモチベーションが湧きずらいといった残念もあるそうです。 

自己満足 
 さらに作る側が考える「良い」モノを作れば高く多く売れる、かつて家電メーカーではそんな考え方が支配的でした。そのようなお客さんを置き去りにした、お客さんの望んでいるニーズを超えた、メーカーの独りよがりな高機能によっておかしなことになってしまったように思います。一体、誰が読むのだろう?な分厚いマニュアルに殆ど使われることのない多機能・・・「もっとシンプルでいいのに!」そんなお客の声が聞こえてきそうです。私も仕事柄、システムを開発するにあたり、目に見えない裏で、技術的には凄いこと(少なくても自分ではそう思い込んでいた)に、凄い苦労したにもかかわらず、お客さんにとって価値(喜び)は小さかったなと、残念に思った経験があります。職人のプライドもお客さんのニーズからズレてしまうと一人よがりのものになってしまいます。だからお客さんに、これしたいと言われたとき、本当に必要なのか、あったら良いなのか、あったらまっ良いけど別に無理してまで・・・なのか、真意を把握しないと費用対効果の低いものになってしまうことを実感しました。それやるなら他にやることあるよね?ってことで。 

手段→目的 ではなく 目的→手段
 自分には、こんな技術があるとか、最近こんな技術が流行っている(手段)だから、それを利用してこんなの作ろう!は間違っていませんが、お客さんは何をして欲しい(目的)のだろう?が置き去りになっているように思うことがあります。 作る側の事情によるお仕着せって残念です。何をすると喜ばれるんだろう?何が望まれているんだろう?を十分に考えた上で、それじゃ、それを実現するために自分が得意な***を 利用して***を実現しよう!って考えていたいものです。 手段(出来ること)と目的(喜ばれる)を履き違えないようにしていたいものです。寂しさを紛らわすための飲み会が、むしろ空しさを助長してしまうみたいなことがないように。
喜びの歌