No.0063:IQ→EQ→AQ 知力より対人能力、そして適応力へ
2019.02.28

生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは変化に最もよく適応したものである。
 
 進化論で有名なダーウィンが残した?(本当にダーウィンが残した言葉かどうかは定かではありませんが、彼の進化論を端的に表した言葉だと思います)言葉です。
 
 さて表題についてIQとは皆さんもご存じの通り知力の高低を表す指標です。またEQは仕事を楽しく出来たり、多様な人と仲良く出来たり、といった対人能力についての指標です。そして最後のAQとは逆境指数とか適応指数と呼ばれています。例えば AQが高いというと、ピンチに強いとか、変化に柔軟に対応できる、といった意味になります。
 
 かつての高い学歴(IQ)がとてつもなく重要視された時代から、バブルが崩壊して経済が停滞するようになって必ずしも高学歴だから出世するなんてことはなくて、自分と異なる意見にも真摯に耳を傾けたり、人のこうして欲しいを正確に理解したり、自分の想いを伝えて相手の心を動かし自分の協力者になってもらったり、な対人能力(EQ)が重要だと言われてきました。そして最近はIT技術の進化、例えばスマホやドローン、AI、IoT、仮想通貨、自動運転、等々、この前までの当たり前とか、無理、絶対が、必ずしもそうではなくなってきました。部活動で教えられた運動中に水を飲むことは良くないという教えが、今となっては極めて危ない教えだったように。このような変化に対して、くだらない!と拒絶するのではなく、知らないふりをするのではなく、何か難しそうと怖じ気づくことなく、 チャンスと捉え活用する、つまり変化に適応する軽さが重要だと考えています。そんなことがAQという2文字にはちりばめられています。AIは自分たちの仕事を奪う悪いヤツ!なんて考えていますと、本当にそうなってしまう負の自己成就予言、つまり思い込みが現実化してしまったりしますので良い方向に考えていたいものです。
 
 昨今のAQ、つまり適応力が注目されている要因としてVUCAと呼ばれる環境変化があると考えています。VUCAとは以下のような単語の頭文字を取ったものです。つまり、 先が見通しずらいことを意味していまして、個人のキャリアや、会社の経営を取り巻く環境を形容する言葉としてよく使われます。
 
V:Volatility 変動制
U:Uncertainty 不確実性
C:Complexity 複雑性
A:Ambiguity 曖昧性
 
 Volatility(変動制)で頭に浮かぶのは株式や外国為替の相場の変動幅がここ数年、大きくなっていることです。AI等によって人手を介すことなく、アルゴリズム(計算方法)に沿って自動的に売買がなされる割合が増えているため、短時間に似たような判断(売買)をすることが極端に増えたためです。今年の正月(1/3)にも円相場が数分の間に4%近く暴騰するフラッシュクラッシュと呼ばれる現象が発生しました。 生身の人間である私が 短期の利を狙って参加していたとしたら、相当痛い目にあっていたかもしれません。この出来事より、AIに瞬く間に人間の労働力が奪われてしまう未来の相似形なのかな?とか思わされてしまいました。
 
 Uncertainty(不確実性)を体現していることは、トランプ大統領の当選、イギリスのEU離脱、といった、えっウソでしょ?が本当になってしまう現実です。両方に共通して言えることは、エスタブリッシュメント(エリート)が他者の事なんて考えることなく自分だけの富に一生懸命になりすぎた事です。大半の置いていかれた人達は、 高潔なインチキより、墜ちた自分を救ってくれるご都合主義の方が余程マシみたいなことなんだと思います。
 
 Complexity(複雑性)で思うことは、かつては一つの会社で一つの能力を磨いていれば一生安泰であったキャリア形成が、今ではそんなことはなくて、会社が倒産してしまったり、自分の得意が陳腐化してしまったり、ということで、シンプルなそれではなくなってしまったということです。そんな変化への対処として、私の心を打った考え方が、 幾つかのまーまーの能力のかけ算で勝負するということです。分かり易く表現すると例えば、中国語、ITという2つの能力が、それぞれ上位10%だったとすると、0.1×01=0.01つまり、100人に一人の逸材になれます。面倒な時代に直面したな・・・と感じるのも、何かしがらみに縛られない努力とか志の持ち方次第でどうにでもなるワクワクなことになってきたな!と思うのも、人それぞれですが、私は明らかに後者です。
 
 Ambiguity(曖昧性)でイメージするのは「そういうもんだ」が必ずしもそうでなくなってきたことです。実は私は「そういうもんだ」と言う言葉が大嫌いです。私の父が、私を説教するときに根拠を示すことなく「そういうもんだ」で押し切られ、納得のいかない経験を幾度かしてきたからです。その副作用かもしれませんが、なぜ?を考える習慣が出来あがってしまい、面倒な性格になってしまいました。それは良いことでもある反面、理由なんて必要ないでしょ?な状況下においてのなぜは、あまり「効率的」ではないと思うこともあります。空気感によって物事の判断が支配されているような状況下では特にです。がしかし、ここで言いたいことは 「そういうもんだ」に縛られなくていいということ、つまりいくつもの選択を持てる自由があるということです。気が進まないのに「そういうもんだ」に合わせようとすると結構キツい場合があります。「そういうもんだ」が何か変だな?な時は声を上げる、自分にとって大切な時は特にです。で「適応」出来ないのであれば距離を置けばいいと考えています。ボブディランも歌うように時代は変わるものですから。
Bob Dylan The Times They Are A Changin

 このように、先を見通しにくい世の中になってきました。そんな中で私は、ひょっとしたら、近い将来、オヤジデビューが出来るかもしれませんし、もしかすると、このまま自らの痕跡を何ら残すことなく静かに消えていくのかもしれません。そう言えばダーウィンの進化論で、生物は環境に適応すべく適応したのではなく、多様な突然変異の中で、タマタマ偶然に環境に適応した性質に変化したものだけが生き残り、そうでないものは消えていったと述べられています。例えばキリンは高い木の葉を食べるために首が伸びたのではなく、多くの突然変異による変化の中で、偶然に首が長くなったキリンだけが高い木の葉を食べられるので生き残り、他の首の短い等で高い木の葉を食べることのできない多くのキリンは死に絶えたということです。私も少しでもオヤジデビューの確率を上げるために、環境変化を意識しながら、突然変異と言ったら大げさですが、やってダメだったことは変なこだわりを持つことなく変えていきたいと思っています。安藤百福がチキンラーメンを開発した時のように、幾度でも幾度でも変えていきたいと考えています。