No.0062:ヒューリスティック ~ まーまーをたくさん
2019.01.31

 ヒューリスティックとは、簡単に表現すると、そこそこの努力で、そこそこの結果を得ることです。wikiでは次のように説明されています。
 
 必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。ヒューリスティックスでは、答えの精度が保証されない代わりに、回答に至るまでの時間が少ないという特徴がある。
 
 最初にヒューリスティックという言葉に出会った時、私はカタルシス状態だったことを記憶しています。頭の中で考え込んでしまう、それこそグルグル永遠に同じ所を回り続ける傾向のあった私は、これでは停滞だ、行動してみないことには新たな情報も入ってこない、だからある程度考えて、ねづっちの「整いました」みたいな状態に至らない場合、少しづつ動きださないことには、にっちもさっちもいかない・・・と考えるようになっていました。そんな中でのヒューリスティックとの出会い!何となく 頭の中でフワッとイメージしていたことが、シンプルな言葉として整理されることは実に気持ちのいいものです。独裁者の独断に独り不満と不安を感じながら悶々としているような時、隣人も同様のそれを抱え、相互にそれを共有出来た時の、自分だけじゃなかったんだ、な開放感みたいに。
 
 マッキンゼー日本支社長だった大前研一さんは「答がない」という言葉を頻繁に使っていました。そんな不確実な環境下において、 やってみて間違いに気づいたら、テレビゲームのリセットボタンを押すような感じで、新しいことをまた始めればいい、みたいなことを述べていました。またユニークな発想を大切にする面白法人カヤックの代表は時間をかけたからといって良いアイデアが生み出されるワケではない、と言っていたことが懐かしく思い出されます。
 
 今、消費形態の「所有」から「利用」への変化が進行中です。 購入するときに全額を支払って所有する既存の消費が、月額使用料XXX円を支払って利用する方式(サブスク)に多くの消費財が変わりつつあります。例えば私はパソコンで文書作成や表計算を行うソフトであるofficeを最初に一括で購入するのではなく、月額使用料を支払って利用しています。同じような例として、車や、洋服、ブランドバック、ラーメン、本、楽曲・・・と枚挙に暇がありません。ドリルを作っている会社が「わたしたちはドリルを売っているのではない、一つ一つの穴をあける価値を売っているんだ」みたいな話しを随分と前に聞いた時は、そんな変化も面白そうだな、でも自分が愛着を感じるような道具については、どうかな?僕は所有を選ぶな、と考えていましたし、今もそんな判断に変わりはありません。
 
 このような サブスクでよく使われる言葉として「永遠のベータ版」があります。一度、売って終わりではなく、お客さんをつなぎ止めるために、継続的に問題点を改良し、喜んでもらい続ける、をよしとすることです。さすがに車のベータ版は嫌ですが、アプリやサービスなどにはドンピシャです。それにしても「永遠のベータ版」、素敵すぎる言葉です。多分、私も一生、完成することなんてなくて、失敗して、足りなくて、イマイチな自分にウンザリして、それを補うために改良していくことの繰り返しなのかなと思っています。死ぬまで、そんなことを続けていられることが自分にとっての幸せだと考えています。
 
 私が身を置くコンピュータ業界ではウォーターフォール(滝を流れる水が上から下に流れていくように順に事がなされていくこと)という考え方があります。家を建てるように、設計する → 作る → 上手く出来ているか?確認する → 使う、といった各段階がきっちり終わってから順番に次に進むやり方です。しっかりと計画を立てて極力ミスのないものを作るという観点では優れていますが、スピード感および柔軟性に乏しいという欠点があります。 厳格な計画のもとに進めたものの、経営戦略との食い違い(例えば、現場のニーズに沿って開発したが、経営サイドの観点とズレている)、ユーザーニーズの取り違い(例えば現場のニーズが開発ベンダーに正しく伝わっていない)といった問題によって、当初の想定からシステムの構築方針を転換していかないといけない!なんてことになりますと、大量に費やした労力の全てがおじゃん、または大部分がやり直しといった、痛すぎる結末が待っていたりします。
 
 ウォーターフォールの反意語的な言葉としてアジャイルという考え方があります。お試し品みたいなシステムをサクッと作って、それを早い段階で関係者に使って貰い、ここがダメ、そこが素敵、みたいな意見を収集して、それをもとに改良を加えるサイクルを回して、徐々に洗練させていくことです。こちらはサブスクに近い考え方になります。
 
 ウォーターフォールと異なりアジャイルは変更を前提としていますので、柔軟に変更に対応することができます。また 早い段階で関係者にシステムを使ってもらうことで、1つ目のボタンの掛け違いに気づき、手戻りを小さく抑えることができます。さらに酷く不幸なことに、システム化による効果が当初の想定に比べて大したことない、だからやっぱりやめておこう、となった時のサンクコスト(やめることで無駄になってしまう、それまでに費やした費用)が小さいので、諦めの判断もしやすいです。40年連れ添った60台後半の熟年夫婦の離婚に比べ、20台半ばカップルの婚姻前の相性チェックのための2ヶ月間にわたる同棲によって相互の無理が判明したときの、どうでもよい些細な残念みたいに。
 
 頭の中で全てを想定し考え抜くには限界があります。やってみることで多様な人と出会い、様々な経験をして、新たな気づきを得て、それをもとに自分の「多分こうかな?」を洗練させていくことが、今の自分の答のない中で考えている私の答です。浅はかな答をあたかも最初から当たり前のように固持する方を私はあまり信用しません。答えの根拠、および答えへの反証の乏しさによって、思いつきの域を出ていない残念を感じてしまうからです。また私はビビりやすい性質で、躊躇することしばしばです。そんな際に、少しでもヒューリスティックを意識し、 行動を伴わない思考なんて要らない、100点満点の机上の思考なんて存在しない、思考に縛られて成長機会をとりこぼすな!と自分の尻をたたきながら、行動によって少しずつ答えに近づいていけたら素敵だと考えています。
 
 全体・長期の反脆弱性の高さは、早めにたくさん失敗するという部分・短期の脆弱性によっている。 山口周
  ヒューリスティックなsonic youth