No.0061:ゲリラ ~ 神出鬼没
2018.12.30

 お客さんに喜んでもらいたい、ライバルに差をつけたい、親を何とか説得したい、そんな時に効果的なのが、相手の想定を外す(超える)ことによるビックリで圧倒することです。つまり、えっ、そこまで凄いのか・・・参った!と思わせることです。例えばiPhoneを創っているアップル社はそのために商品自体の機能やデザインの洗練はもちろんのこと、それに加えて 発表前の徹底した秘密主義によってお客さんに新製品を想定させない演出がなされています。ですのでお客さんは一体、どんなサプライズが待っているんだろう?なワクワクで満たされます。マイクタイソンのヘビー級とは思えないスピードによって何処から放たれるか予測不能なパンチのように。
 
 相手の想定を外すことで活躍した人というと、 植民地支配の宗主国であったフランスやベトナム戦争でのアメリカといった遥かに大きな軍事力を誇る敵をゲリラ戦法によって退けた「赤いナポレオン」「ベトナム救国の英雄」と呼ばれたヴォー・グエン・ザップ将軍がイメージされます。私が中学の時に上映されていた「プラトーン」というベトナム戦争をモチーフにした映画の中でも、どこに潜んでいるか分からない神出鬼没なベトナム兵士の奇襲によって、物量や兵器、装備で圧倒的に有利にあるアメリカ軍が、混乱させられるシーンが描かれていました。戦争に正義はないと考えますが、私のような大きな組織に属さないちっぼけな存在が、大企業と互角に渡り合っていくにあたり非常に勇気づけられる歴史の1ページです。
 
 私たちはフランス軍と米軍を正確に把握していたが、彼らはベトナム人について知らなかったし、知ろうとしなかった。優れた武器だけで十分に勝てると誤認した。 ザップ将軍のフランスとアメリカに対する勝因についてのコメント
 
 相手がどう反撃していいかわからないような戦法で、ぼくは権力と戦いたい ベトナム反戦運動にも参加していたジョンレノンの言葉
  
 逆に相手に必要以上に自分の今後を想定させまくって、自らの状況を悪化させてしまったのが今の中国です。中国政府は2015年に中国製造2025という産業政策を発表しました。世界の製造強国の先頭グループ入りを目指す非常に野心的な目標です。例えば次世代通信規格「5G」のカギを握る移動通信システム設備では2025年に中国市場で80%、世界市場で40%といった具合です。国内的には国民のやる気を引き出し、共産党政権への求心力を高めるには良かったのでしょうが、自らの地位を奪われるかもなアメリカを明らかに心配(刺激)させてしまいました。結果的に中国は、アメリカへの中国輸入製品に対する高関税、また中国通信機器の情報漏洩の危険性をアメリカが喧伝することによる市場からの締め出し、といった後悔先に立たずなことになってしまいました。
 
 かつての中国の外交政策を表現するトウ光養カイという言葉があります。1980年代後半から1990年代前半にかけて天安門事件やソ連の崩壊によって中国の立場が危うくなるなか、当時の指導者だったトウ小平氏が「 才能を隠して、内に力を蓄える」を基本姿勢とし国際社会で目立たないようにしながら、国内の経済をコツコツ発展させていこうと指導しました。変に目立ってしまっては社会主義国がバタバタ倒れていく状況下で、どこからどんなパンチが飛んでくるか分かりません。そんな控えめな戦略が今日の中国の発展の礎になっているかと思うと、トウ小平氏の先見性に驚かされると同時に、今は未だ大人しくしといて、内々に貯めておくスタンスをもう少し続けておいても良かったのかな?でもいつかは大国として前にでていかないワケにもいかない、そんな難しいジレンマの中での決断だったのかなと思います。
 
 下から上に、な時に受ける嫉妬は、ある程度、避けられない。
 
 先日、高杉晋作の歴史小説を読みました。どん底な中での胆力とか、未来を切り拓いていく瞬間、瞬間での機転などに、夢中になってしまいまして、読後は暫く高杉ロスな状態が数日、続きました。その小説の中で圧倒的な不利な情勢を、先に紹介した胆力、機転などにより自分側に主導権を引き寄せた後、敵に対する戦後交渉の姿勢がゲリラに重なる部分がありましたので紹介します。
 
「黙して威を張るべし」つまり「勝利軍は無言なるがよし」と高杉は言っていました。敵へこちらの要求を伝える必要はない、力のあるものの無言ほど相手を怯えさせることはない、相手はこちらからの要求をじりじりと待ちに待っている、そんな中こちらが沈黙を続けるうちに相手はこちらが何を考えているか分からない恐怖から、ついには焦って譲歩してくる、気に入らなければ突き返せばいい、みたいなことが書かれていました。私は常に相手に分かり易く、伝えないといけない、だってボタンの掛け違いで状況を悪化させたくない・・・、だから丁寧に伝えることをよしとしてきました。ですので、その場の空気感によっては、こちら側が積極的に応じることなく、相手の反応に応じた適切さがあることに、新鮮な驚きを感じてしまいました。
 
 情報がもたらされることなく、多分こうだろう、を思い描けないと、人は不安を感じるものです。会社の組織に属していた頃は、いつまでに、何をしないといけない、といった目標(ノルマ)が数字で示されていましたので当時は、自分で選択できない窮屈さにウンザリしていたことがありました。その一方、今は何をするか?は自分の選択次第、迷いも不安も組織に属していた頃よりも格段に増え、色々と管理(束縛)されていた過去を羨ましく振り返ってしまうこともあります。ただ、自分の直感によって素早く柔軟に選択できることの自由を大切にしながら、暫くはそのままであり続けるであろう大きなもの、ことに対峙、場合によっては協調していけたらと考えています。
 
 自由であるということは、社会や組織が望ましいと考えるものを手に入れることではなく、選択するということを自分自身で決定することだ。 サルトル
 暗にベトナム戦争を批判したと言われているBob Dylanの曲