No.0057:間 〜 おおらかに
2018.08.31

 「間」とは、空間的に距離をとる、もしくは時間的に空白を挟む、ことです。最近、偶然に「間」に関連した本5冊と出会いまして、妙に響いた内容でしたのでタイトルとして取り上げました。

 1冊は司馬遼太郎さんの幕末での新撰組の活躍を著した「燃えよ剣」です。真剣による斬り合いのシーン、敗者の命が失われる直前の立ち会いの「間」について非常に惹きつけられてしまいました。どうしてかというと 相手の心が動いた(乱れた)瞬間、隙を見逃すことなく、もしくは相手に準備する時間を与えず間髪入れることなく、斬り込む、そんなピリピリしたシーンを想像していると、僕たちの生活に重なることも少なくないからです。例えば、自分がミスをした場合は、相手からそれを指摘される前に直ちに真摯に謝罪することで、ミスによるダメージを最小限に食い止める、つまり相手の怒りの機先を制することで、それを最小限に留めるといったことが挙げられます。

  2冊目はNHKキャスターだった矢野香さんの「たった一言で人を動かす 最高の話し方」です。「間」をあけ相手の反応を見ながら話すことの大切さが説明されています。「間」をあけることで、相手に理解する時間を与え、相手の理解度を確認しながら話すことで、伝わりやすくなるからです。話し方に自信がある人ほど「間」を意識することなく、自分の話したいことをマシンガンのようにまくし立て、相手を置き去りにして話し続ける危険性があるようです。幸にも?私は話し方に自信がありませんので、十分に間をとりながら、聴いている人の反応を確認しながら、臨機応変に話す内容を変えられるよう常に意識することで、自分の気持ちを上手く伝えられるよう、理解し合えるよう、片方向の言いっぱなしに陥らないよう、にしていきたいと考えています。
 
  3冊目はジェームス・W.ヤングの「アイデアの作り方」です。その名の通り、アイデアを作り出す方法を5つのステップに分けて解説しています。

  • 情報を集める
  • 集めた各々の情報を吟味し、情報同士を組合せて新しい価値を作り出せないか?考えまくる
  • 考えを止め、放っておく(無意識に思考を任せる)
  • ひらめきを待つ
  • 出てきたひらめき(アイデア)を現実に合わせる

 以上のステップを見て、私にも何となく似たような経験があることに気づきました。考えても、考えても、結論が出ることなく、吐き気を催し、散々に疲弊して、そんな状態で眠りについて、翌朝の半分、起きていて、半分、寝ているような状態で、ふっと考えが浮かんできて、起床する頃には「よし、これでいこう!」って決意が固まっている、このような不思議なことは1度や2度ではありません。どうやら無意識が僕の知らないところで、ひっそりと考えてくれているだろうことに気づきました。夜になると小人が出てきて気づかないうちに仕事を済ませてくれるグリム童話のように。そんな経験を通じて、厄介な問題は最初から無理に結論までいくのではなく、ある程度考えてしばらく「間」をとり、ひらめきが自然に出てくる場合もありますが、出てこないとしても、しばらく後に考えなおす方が良い決断が出来ると思っています。また、この本の中で「アイデアとは既存の要素同士の新しい組合せである」みたいなことが書かれています。アイデアを構成する要素は既に存在する、肝要は新たな組合せ、両の情報の関連性を見いだすということに、ハッとさせられました。0から1ではない、だから継続していれば、いつかは幸運にも素敵な組合せに巡り会える!そんな気持ちにさせられました。
 
 4冊目は中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」という生き方について述べられている本です。その本の中で、相手に対して要求を高くすると、相手は自分から離れていく、だから時には相手のミスや自分との違いを、受け容れ、やり過ごすことが大切だ、みたいなことが書かれています。私も親、兄弟、妻、子供、友人、一緒に働く人、お客さん、などの納得のいかないことについて、全てイチイチ指摘していたら関係が破綻してしまいますので、大切ではないこととは出来るだけ「間」をおく、つまり心の隅に追いやるようにしています(しているつもりです)。自分にとって大切なこと、どうしても納得のいかないこと、については、しっかり伝えないと、心の隅どころか、ど真ん中に居座り続け、それに思考が占拠され続けることで、自分のパフォーマンスを落とすことになりますので、良い塩梅を心がけています(この微妙な判断にいつも悩まされるのですが・・・)。 
 
 5冊目は組織開発や人材開発のコンサルティング会社を経営するポーランド人のピョートル・フェリークス・グジバチさんの「ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち」です。今までのエリートは強欲で儲けたお金で買った高価なモノで着飾り自分の凄さを誇示することが喜びである一方、今後のエリートは利他的つまり他者への貢献に喜びを感じ所有(消費)は最小限である、みたいな魅力的なことが書かれています。この本の中で「間」について書かれていることが、仕事においてメリハリをつけることの大切さです。例えば仕事は2~3ヶ月単位で一定の成果を出し、暫く休暇をとり完全に仕事から一端、離れる、のサイクルを繰り返す、または日々の働き方としてダラダラ残業するのではなく、今日は何時までに、ここまでやる、といった目標を定め、さっさと帰宅し、自宅では仕事のことは考えないようにする。どうしてこのような仕事との「間」をとるのかというと、その方が過去の自分を振り返った時に俯瞰して見ることができるからです。組織から離れることで初めて見えてくる、目を覆いたくなるような組織の怠惰みたいに。このように「間」をとることで自分を俯瞰し客観視を繰り返すことで、過去の自分とさよならして、より良い自分への変容を繰り返せるのだそうです。
 
 以上「間」について述べてきましたが、今の私の生活には「間」が不足しています。私はサラリーマンを止めて以降「休む」という感覚を失いました。いつも何かを吸収していないと、考えてといないと、結果を出していないと、、、可能な限り余分を切り詰めて、、、もっと、もっと、な、、、感じです。最近、思うことは少しスピードを落として、ゆったりとしてもいいのかな?と思っています。そんな「間」によってでしか見えてこないことがあるように思うからです(じゃないと小人も出てきて働いてくれない)。そう言えば私の名前は「暢」といいます。暢気(のんき)に使われる漢字です。父がゆったりと、おおらかに育って欲しいということで選んだようです。どうやら親も「間」を忘れるな、と訴えているようです。いずれにしても間抜けにはなりたくないものです。

ゆったりなstan getz