No.0049:don't think, feel ~ 本質
2017.12.30

 don't think, feel(考えるな、感じろ)という言葉は私のアイドル、ブルースリーの映画「燃えよドラゴン」の中でのセリフです。私は「 目先の些細(ノイズ)に囚われるな、本質を見ろ」そんな風に理解しています。考えまくり堂々巡りに陥って、遅々として決断できないような場合、一旦、全てをクリアして、高いところから全体を見渡して、別の観点で考えたら何か見えてこないかな?を思い起こしてくれる言葉です。ファミコンのリセットボタンを押すことで、新たな、清々とした、気持ちでやり直しができるように。

 最近、 デザイン思考という言葉を耳にする機会が増えました。データとか理屈にがんじがらめにならない、創造的なヒラメキを大切にする考え方です。例えばマーケティングリサーチの結果を数字的な大小によって傾向を把握するために活用するのではなく、心動かされるアイデアやヒラメキなどにより、発想の飛躍のためのヒントを得ることでクリエィティブな成果を実現していこうとする考え方です。ビックデータをAIで分析して・・・といった最近流行りの冷たいマシンの判断に対するアンチテーゼなのかな?と思ってしまいますが、過去からの延長、厳格なルールの中での競争はAI(コンピュータ)で、パラダイムシフトを伴うような変化にはデザイン思考(人間)、といったように使い分けられるようなことだと考えています。

 そんなデザイン思考の考え方は、最近ふっと湧いてきたことではなくて、以前からスゲーって尊敬していた方々がそれと意識することなく普通に実践してきたことに、今になって、気づかされます。残念ながら昨年、社内のクーデターによって退任した長年に渡ってコンビニ業界の発展を牽引してきたセブンイレブンの鈴木さん、ソニーを創り上げた盛田さん、アップルの創始者であるジョブズさんといったスーパースターは「 お客さんから得られる数字は過去しか語らない、お客さんは欲しいもの、ことを、見せてあげて、初めて自分のそれに気づく」というようなことを、口をそろえて指摘されていました。

 私はかつて、そんな発想に強く心動かされ、仕事において、お客さんからのヒアリングによって得た狭い表に現れている事情に捕らわれていた自分に???を強く感じるようになっていたことがあります。その時、自分が尊敬していた先輩の姿を振り返って、お客さんの意見、ニーズを受け容れつつ、必ずしもそれを鵜呑みにすることなく、幅広い見地より総合的に判断し、時には異なる意見を、時には、やるべきではないことを進言し、例えば、 お客さんの要求にそのまま対応することで、こちらも短期の利にはなる、しかしそれはお客さんの長期の利にはならない、だから結果的に双方の利にはならない、みたいなことを、お客さんに分かりやすく伝えることで、信頼いただき、こちら側にイニシアティブを保持しながらお客さんをリードしていました。そのような素敵な方に刺激されて私は、自分の専門領域に囚われることのない幅広い観点を持ちたい!と強く思うようになりました。

 北朝鮮の核問題は保有している株・債券にどんな影響があるんだろう? ジェットコースターみたいなビットコイン価格はすでにバブルなのかな? AIによって仕事が奪われ失業? など予測が困難、つまり不確実性の高まりなんてことがうるさいくらいに言われています。そういうことに、すぐに、大げさに反応してしまいますと体がいくつあっても足りません。かといって完全にスルーってわけにもいかない、そんな場合、 判断に要する情報に乏しい時は、大きな決断を避けながら、徐々に情報が集まり、確実性が高まった段階で、一気にスピードを加速させて、自分の正しさを実行する、といったリアルオプションという考え方があります。戦後の混乱期に、後に自動車の本田技研工業を起業する本田宗一郎さんは、今は先が見通せない、みたいなことで、スピードを緩めて酒(ドブロク)を飲みながら牙を研いでいた時期があったそうです。 私は成果が出ない現状を悲観しまくって、焦ったり、諦めてしまったりするとロクなことにならないことを、幾度か経験していますので、そんな余裕を大切にしたいと考えています。釣りをしながら思索をめぐらしまくり、80歳を超えて大成した古代中国:斉の太公望みたいに。

 職業柄、様々なお仕事、立場の方とお話しする機会があります。ある会社での当たり前が、別の会社では無駄とか、経営者、管理者の判断に対して現場が???を感じまくっている(でも仕方なく従っている)例など、多様な感じ方に驚かされることが少なくありません。 それを行うことの効果、反対の弊害、それぞれの大きさに対する「感じ」方は、生まれた、育った、学んだ、人と触れ合った、人とぶつかった、などの環境的、経験的、側面により多種多様です。ただ、ずっと前から続いている、誰かが判断、指示してくれる、みたいなことで、自ら考えない、判断しない、ような場合は、気づきを促すような刺激を投げかけたりしています。本質は何だろう?と。相手のセンサーにかからず共振しない(スルー)ということも、ありますが、可能な限り粘り強く!と考えています。

 表に出ていることから裏に隠れていることを想像して、答えを創造することは、非常に難しく、時には吐き気、頭痛を催すこともあります。そんな中、ここのところ、思うことは 明確な「答え」はないということです。肝要(寛容)なことは要素と要素の無限の組み合わせの中より、「マシ」を選択することだと考えています。さらに「マシ」は状況に応じて変化していく。だから、やって見て、成果を確認して、反省して、修正する、の繰り返しをひたすら、可能な限り素早く回していく他ないと思っています。自らの通り一遍な答えをかたくなに主張するような方に、一体どれだけの選択の中より選んだのだろう?と思ってしまうことがあります。私は些細なノイズによって本質を誤らないよう・・・おそらく誤る(謝る)こともあるでしょうが、、、素早く修正できる自分であり続けたいと考えています。そういえばナチスドイツへの勝利に大きく貢献した私が大好きなイギリスの政治家であるチャーチルは次のような言葉を残しています。

It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.
民主主義は最悪の政治形態だ。ただし、これまでに試されてきた、すべてのそれを除いたとしての前提ではあるが。  
感覚が研ぎ澄まされるradiohead