No.0048:プライドとメンツ 
2017.11.27

 横綱:日馬富士関による貴ノ岩関への暴行が色々と報道されています。そう、色々と。あること、ないこと、含めてぐちゃぐちゃで、事実は一体なんだろう?って風です。それぞれの立場、面子(メンツ)を守るための思惑がぶつかりあっていて、一体、誰が勝つんだろう?誰が泥水飲まされるんだろう?それとも皆揃って赤っ恥じゃない?今後の行方が気になります。謎の多いトラブルですが、少なくてもプライド(メンツ?)を保つために、それが汚された時の怒り、不安、みたいなことが根底にあることだけは間違いないように思います。

 そんなドタバタな大相撲が今や定番となった白鵬の40回目の優勝で幕を閉じた昨日の夜、池の水を抜いて、底から一体何が出てくるんだろう?ワクワクドキドキ!なテレビ番組がやってました。ただ内容として外来種の魚が在来種の存在を脅かしている、何とかしないと!といった風潮の強さに微妙な違和感を感じてしまいました。池を、怒れるプアホワイトによる保護主義のアメリカや、シリア等からの移民排斥を強く訴える極右が票を伸ばすドイツに置き換えると、ちょっと怖いな、、、ということで。 他者を叩いて自らのプライドを保つ、、、それってプライドかな?単なるメンツであるように思ってしまいます。

 「出入りの業者は取り敢えず叩け」といった商習慣が、あるところにはあると肌感覚で私は持っています。どういうことかと言いますと、新しく取引をする仕入先、外注先のような 立場の低い会社に対して、多少、理不尽な振る舞いも含めて相手に圧力をかけることで、上下関係を明確にさせ、自らの交渉力を強める、作戦です。犬がターゲットの犬の腰の上に乗って「オレの方が偉いんだからな!」を分からせるマウンティングみたいに。そういえば最近読んだ本の中で、 ビジネスでマウンティングはとても重要、ただそれは威圧なんかではなく魅了だ、みたいなことが書かれていて、感動してしまいました。魅了によるマウンティング、これが自分の職にプロとしてのプライドを持つことなんだな、と。

 私は「出入りの業者は取り敢えず叩け」作戦に対して、実績を示すことで少しづつ距離間を縮め、信頼をいただき、発言力を高められるよう努力はしますが、いつまで経っても、そんなちっちゃな上下関係だけに縛られるような場合、無理に関係を続ける必要はないと考えています。何故かというと、 お互いの自らへの厳しさを前提とした上で、自分がワクワクしていられる、それに相手が価値を感じてくれる、ような縁をとても大切に考えていて、そんな場合、双方にとってのプラスが最大化されることを体験を通じて感じているからです。

 最近の内向き志向が随分と懸念されるような報道が目立つ中で、在来、目上、先住者へのリスペクトは非常に大切だと思う一方、それだけが優先されるのは非常に残念に思います。内にない、外の素敵による恩恵を受けることができなくなってしまうからです。保守的な会社にいた方より「組織は内からは変われない、外のしがらみのない人による他ない」というお話を伺ったことがあります。そうなんだろうな、、、と幾分残念に思いつつ、外からと言っても聞く耳持ってもらえないじゃないかな?といった疑問も同時に感じました。何も知らないよそ者が!みたいなことで。 組織は突然の生死のピンチに晒されれば、案外と内から変われるのでしょうが、そうでない場合、少しづつ下降線を辿りながら、その現状から目を背け、静かに終わりに向かうことが多いように思います。

 内への厳しさを欠いた外への厳しさ、そういう考え、あまり格好いいものではありません。楽だからということで、そっちに流されるような自分でありたくない、人は痛くない楽な方に自然と向かってしまいますので、強く意識していたいです。審判の見ていないところで、相手選手にヒジ鉄を食らわすサッカー選手のような行為は自らのプライドを汚すということを忘れないようにしていたいものです。どこかで観客が見ていて眉をひそめていたりもしますから。
プライドによる演奏