No.0046:無駄?
2017.09.30 

 今朝の朝刊で去年、ノーベル賞を受賞した大隅良典さんが「手っ取り早く確実に儲かるか?」だけが優先され、本当に好きな知りたいことにお金が振り向けられなくなった。このまま「効率」優先を続けているとノーベル賞は日本人から出なくなる、産業が育たなくなる、みたいなことが述べられている記事が載っていました。 ひょっとしたら無駄になるかもしれないけど、そんな多くの無駄の中のごくごく一部にキラキラ光る成果が埋もれている、逆にそういう無駄を受け容れない限り、小銭を拾い続ける他ない、確率論みたいなことなんだと思いました。

 最近、無駄について考えることが多かったので、その話は妙に頭の中にスーと入ってきました。何故かというと「シリコンバレー式よい休足」という本を読んで、十分な睡眠、遊び、休憩が成果に繋がるという指摘にハッとさせられていたからです。睡眠時間、休み、遊びを削って仕事をすることが成果に繋がるとの思いがかつての自分にはありました。またそんな「頑張っている」自分に酔いしれていたように思います。いつの頃からか、いや何か違うな?機械ならかけた時間に比例して成果は出るだろうけど、僕は機械ではないよな?確実なリズムを刻みながらポンポンとずっと同じ成果が生み出される、昨日も今日も明日も変わることないそれが。 僕は過ぎ去った過去では出来なかったことを、少しづつ過去とは違う要素を足しながら違う成果を出していきたいんだよな?ずーっと同じ繰り返しなんて・・・嫌だ。だから無駄(自分が好きでたまらないこと)を大切にしようと考えるようになりました。

 シェアリングエコノミーという自分が持て余しているモノや時間を、それを必要としている人に有料で使ってもらう仕組みが流行しています。一見、素晴らしいことではありますが、こういうことが拡大すると消費が停滞することになります。服が売れない原因に個人と個人を繋げるフリーマケットのようなアプリであるメルカリが少なからず影響しているそうです。少し着て飽きたらメルカリで売って得たお金で新しい服をメルカリで探すといった風に、お店で新品を買う機会が減り、お金がメルカリの中でグルグル回っています。最近、不祥事で世間を騒がせているタクシーのような個人の配車サービスを展開するウーバーにトヨタが出資したことが随分と話題になりました。「遅かれ早かれ自動車もシェアリングの波がやってきて車の販売はピンチになる、それはもう止められない、であれば早いうちから厄介者のシェアリング企業の中で最大手であるウーバーと組んで変化に上手く対応しよう」な敵を取り込んで何とかしようとする気概に感心させらてしまいました。

消費という観点において無駄は歓迎される。

 昭和の右肩上がりの成長が確実視され終身雇用が保証されていた時代は、一つの技能を磨き続ければ一生安泰であったけれども、今の成長が停滞する、価値の多様化が進んだ時代においては多様な面を持っておいて、変化に柔軟に自分を合わせていけるようでないと危ないというような話を幾度か耳にする機会がありました。最近話題のリンダ・グラットンさんの著書「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」の中でポートフォリオワーカーという生き方が紹介されています。簡単にいうといくつかの仕事を持つ働き方です。何故そんな働き方が勧められているかというと「ポートフォリオ」と言う名の通り、 リスクの異なる仕事を合せ持つ事で、いづれかの仕事がダメになってしまったとしても、他の仕事があるから大きなダメージは受けないという投資のリスク分散と同じ考え方です。寿命が伸びている一方、年金財源の不足、終身雇用制度の崩壊といった、不安定な雇用環境の中、70歳、ひょっとしたら80歳?まで働かなければならない状況において、安全な働き方です。 1つの仕事だけに集中する方が効率的で 2、3 に分散することは無駄が多いことかもしれませんが、それは集中する1つの仕事を続けられる確実性が高い場合においてのみ有効な選択です。また2、3の仕事を同時にすることで幅が広がり、相互に補完できるようなプラスの側面もあります。

無駄が安定を支える。

 私はスペインのサッカーが大好きです。多彩なワンタッチパスをスピーディーに回して敵を翻弄するサッカーです。そんなスペインサッカーですが2010年の南アフリカ大会で初優勝したものの、必ずしも前評判通りの結果を残せてなくて、あのスペインが予選敗退!みたいなことが幾度かありました。美しい、魅せるサッカーは必ずしも短期間で確実な結果を要求される場面には向いていないのかな?とか勝手に考えています。ただ、そういう短期決戦では「無駄」なのかもしれない魅了によって、サッカー選手を志す子供や、サッカー観戦を心から楽しむファンが増えることで、サッカーにお金が流れ込み、それが国内リーグのレベルを高めるような循環がグルグル回ってるとすると、とても素敵に感じます。 勝ちばかりではなく美しさを求める姿勢。小さなポイントを小ずるく稼いで判定を狙う狡猾を否定し、ガッツリ組んで一本を狙う日本柔道のように。私もそんな無駄をいくつか集めて格好良く、長い目で見たら本質な選択をしていけたら幸せなのかなと考えています。
勝ちよりも自らの価値を優先したビーチ・ボーイズ