No.0038:命 
2017.01.29 

 ここ数年の間に、いくつかの葬儀に参列しました。ついこの前まで元気だった方が、少し連絡をとっていなかったな、と思っていましたら訃報の知らせが届いて愕然とし、もう一度お会いしたかったな、と後悔の気持ちを感じてしまったことがあります。また、小さい頃からテレビで活躍されていた芸能人が亡くなったとの報道を3、4日前に見て、少し寂しい気持ちになりました。

 私個人の死に対する強烈な体験は10年ほど前の母の死です。暫くの間は、上手く表現できないですが、水の中で溺れているような苦しい時間が続きました。よく仕事に没頭することで、その苦しみを忘れることが出来るようなことを聞いていましたが、私には全くそんなことなく、極度に気力を失っていました。ただ不思議なもので 日薬と言いますが、年月を積み重ね悲しみの上下の凸凹を繰り返しながら、徐々に自分を取り戻すことができました。新興国の短期的に小さな上下の景気変動を繰り返しながら長期的に大きな経済成長を遂げるように。

 あれから10年を経て思う事は、 ない方が良かったことは間違いないですが、ないよりも確実に自分は成長した、ということです。母が何を考えていて、私に対してどんな想いを感じていてくれたのだろう?自分はそんな母の想いにどれくらい応えられていたのだろう?そんな不足に対して自分はこれから何をしていけばいいのだろう?といったことを、幾度も幾度も幾度も考えているうちに徐々に明確になり、それを行うための失敗や、迷いによる痛みが前のそれと比べて随分と小さくなりました。強いプレッシャーがかかる時は母が私の頭の後ろの右側(何故か右なんです)で見守ってくれていると感じ、ほんの少しだけ気分が楽になります。 
 OASISのLive Forever
 別の世間一般的な命の話として少子高齢化が進み、増加するお年寄りの医療費を、減少する若者で支えていくことが困難になりつつある中、医療費抑制のための健康寿命(健康な状態で日常生活を送れる期間)を伸ばすことが重要視されています。 定年退職後に在職中に持っていた使命感や、プライドを失って、家庭の中で悶々とする中、気力を失い、酒やギャンブル等々で隙間を埋めることで健康や家族間の関係を害していく方が少なくないといった話が新聞に載っていました。中国の歴史書「史記」の中での、敵対する権力者に酒と女を与えて、権力から遠ざけ、健康を害させ死に至らす、ちょっと怖い謀略みたいに。私はそんな高齢者の孤独を緩和するためのスマホ向けアプリを開発しています。それによって少しでも高齢者の健康寿命の増進に貢献出来たら私自身の健康寿命も延びるのかな?と思っています(今回は詳しい説明省きます。正式にリリースする際に紹介させていただきます)。

 「7つの習慣」という本の中で 自分の葬儀の様子を想像することで、自分を修正できるようなことが書かれています。やっと死んでくれたか、ではなく、私の存在が消えることを惜しんでくれる人が少しでも多くいてくれたら幸せです。さらに子供に自分の想いをバトンタッチし、僕の大切な部分は彼らの中で生き続ける、完全に消え去ることではない、と思えるようこれから最後の時に向けて時を刻んでいきたい、そんなふうに考えています。

 経済学者であるケインズは、景気が一向によくならない状況下で、それでも今までの常識に従っていれば「長期的にはよくなる」といった多数の主張に対して、「 長期的には、私たちは皆、死んでいる」だから死ぬ前に何とかしないと!と主張し新たな常識を創っていきました。後のことばかり考えて臆病になるより、今に集中して少しでも勇気を振り絞って行動していきたいものです。ひょっとしたら明日には命を絶たれるかもしれませんし、確実に、60年後に私は、ここにいないのですから。 

もしも今日が、人生最後の日だとしたら、これからしようと思っていたことを、僕は今日のこの日もしたいだろうか? 
ステーブジョブズ