No.0037:もったいない、なんてことない
2016.12.30

  毎日、同じことの繰り返しだと何だか飽きてしまいます。何か違ったこと、やってみたいこと、今までと違うこと、起こらないかな?そんなふうに思ったところで、何も起こりやしません。退屈だなとの想いと、このままでいいんだろうか?っていう小さな不安。こんな状態が続くのなら、嫌われたり、叩かれたり、痛い目に遭ったほうが、まだマシなんて思ってしまったりします。でも勇気がなくて、それも出来ずに悶々とする日にウンザリしてしまう、私には、そんな時がありました。

 その一方で、変化というか、新しいことが起こり始めると、自分でこなしきれないくらいの出来事がいくつか同時に重なったりします。そんな時は、あーヤバい!こなしきれない、こんなだったら最初から断っておけば良かった!なんて、後になって思ってしまうこともあります。

 人の感情は不思議で、かつ身勝手なものです。暇なときはそれを埋めるための刺激を求め、逆に余裕のない時は、自分を周囲の厄介事から遠ざけようとします。 夏に冬の冷たさをうらやみ、冬に夏の暖かさをうらやむ、みたいに。夏の暖かさと冬の冷たさの極端な部分を貯金箱みたいなところに蓄えておいて、足りないときに引き出して、適温にバランスする、そんなことが出来たら・・・なんてナンセンスですね。

 私は時間に余裕がある時は、お金にならなくても、自分が好きなこと、ひょっとしたら、これから先に芽が出るだろう、なことに時間を使うようにしています。しかし大概のことに成果なんてなくて、どうでも良いことに夢中になっている、マヌケなオヤジなのかな?といった不安を感じてしまうこともあります。ただ教科書に書いてあるようなこと言うと、無駄なんてことはない!と思うようにしています。自分が試したことは、いつか化けるかもしれない、ひょっとしたら、ほんのわずかながらの自信、例えば他者と会話する時の生き生きした自分、魅力的な自分として相手に差し込むことの、きっかけになっているかもしれない、そんなふうに考えています。

 とはいえ 好きなことばかりしていて、経済的に困窮するようではダメかなと思っています。特に家庭を持っていると、夢さあればお金なんて・・・、といった眠たい考えは決して許されないことは実体験を通じて強く感じます。最低限、家族として生活していくことに困りすぎないことを前提とした上で好きなことをする、バランス感覚が欠かせません。短期的に生活していくためのお金と、長期的に自分が成し遂げたい、をする両のバランスをうまくとっていきたいものです。

 また最近思う事は、 日々、起こる厄介すぎること、短期的に生活していくためにすること、自分の想いに反して残念に思うこと、の中にも考えようによってはオモシロサがちりばめられているということです。面倒くさい、ダルい、そんな出来事をそのまま受け止めてしまうと、結構キツいものです。そういったことの中に自分を鍛えてくれる、向上させてくれる、気づきを与えてくれる、ことが少なからずあることにオモシロサを感じます。辛いことを、そのまま辛く受け止めるのではなく、これは試されているんだ、自分を、周囲を、良い方向に差し向けるために自分はどう考えたら、動いたら、良いのだろう?をなぞ解きのように考えるのも悪くないと感じています。ナチスのアウシュビッツ強制収容所に収容されていた心理学者ヴィクトール・フランクルが物理的に彼らは僕を支配できるけれど感情的には決してできない、 起こった出来事に対して、どのように受け止めるか?それは自らの自由な選択の中にある、彼らは決して自分を支配出来ない、みたいに考えることで、過酷な収容所生活を乗り切ったように。

起きた出来事に支配されることなく自らの意思によって選択できる自分でありたい。

 残された時間、機会はたっぷり残されています。自分にとって大切に思うこと、今しなければ後々後悔するだろうなこと、をやってみて成果が出ないことで、やらなければよかったと思ってしまうこともあります。でも やってみないことには、自分にとって価値の無かったことかどうか?は、わかり得ません。そんなことにたいして、大げさにもったいないと感じてしまう自分を許してあげたいものです。遠回りなしに前には進めませんので。そう言えば最近、ビックデータという言葉がもてはやされていますが、開発で失敗した大量のデータを共有して効率的に開発を進めていく手法が注目されているようです。

もったいない、なんてことない、やってみないことには、必要か、そうでないか?なんて、分からないから。  
日々たんたんと、を感じるビートルズのa day in the life