No.0036:不確実性〜感情とデータ
2016.11.27

 目玉が飛び出そうなことが2回も立て続けに起こりました。1つはイギリスのEUからの離脱を問う国民投票、もう1つは政治のプロ、それともビジネス(交渉)のプロ?を選ぶアメリカ大統領選です。ともに事前の調査会社の予想に反する、意外な結果で、両の結果を的中させた人は、そうは多くは無かったことでしょう。 事前の予想を外しまくった要因として、どちらに投票?との問いに対して、人前で過激な答をするのが恥ずかしいとの感情から、お茶を濁すような人も少なくなかったことが挙げられます。今、流行りのAIもそんな人の内面の感情までを汲み取ってまでの解析は難しいことだったでしょう。声なき声が拾われない、サイレントマジョリティ(意見を述べない大多数)の反乱、そんな人たちが、ポピュリズムに拠り所を求めてしまうことに寂しさを感じます。

 私はこれまで、twitter・ブログなどのSNSを利用して匿名で言いたいこというのはあまり格好良いものだとは思っていませんでしたので、実名・写真付きでこのブログをやっています。自分の発言に責任を持ちたいのと、これまでの経験を通じて多少の表裏があることは当然だとは思いますが、表を飾りまくって、裏ではブーブーな、張りぼてみたいなことに嫌気を感じていたからです。ただ、 目玉飛び出そうな2つの結果を見て、匿名だからこそ言える本音もあり、それが必要な時もあるのかな?と思うようになりました。そんな声を事前に拾うことで、修正できることもあるからです。もし、声なき声の大きさが適切に拾われケアされていたとしたら、2つの結果は別なものになっていたかもしれません。

 私は話が変に伝わると厄介だなと思う事柄についてはメール、チャットに頼ること無く、直接会って話すことを心がけています。どうしてかというと、 表情、声のトーン、目つき、手足の動きなど、言外の感情的な情報も含めて、質問を変えたり、刺激したり、共感することで本心を引っ張っり出す、そんなことが大切だと思うからです。さらに「分かりました」でも真に納得してくれているな、のそれと、内心は乗り気ではない、または反発されているような面従腹背、のそれがあったりします。ですので言葉以外のそんな感情的な情報も含めて、その後のフォローの仕方、接し方を判断しています。

 不確実性といった観点で、今まで幾度か、自分の能力とか、限界、そういったモノサシをふまえた上で、仕事の選択をしないといけないって話を聞いたことがあります。あまり「でも」という否定的な言い回し、表現は好きではありませんが、でも 自分のできることを「ここまで」って限定(数値化)して、それ以上は無理!って諦めてしまうのは、残念な気がしてなりません。どうしてかというと、私は、うわっ、キツいなってビビりながら、それこそプレッシャーによって変な咳しつつ、吐き気を感じながら、そんな不安たっぷりの中、試行錯誤で、ひょっとしったらこれでいいのかも、そんな繰り返しの中からでしか、過去に自分が成長できたのかな?と感じられたことは、なかったからです。もちろん痛い目にあったことも何度もありますが、そういったことも含めて必ずしも無駄ではなかったと思う事があります。自信満々で成長するべくそうなった、そんな経験は私にはありません。

 私は、感情もデータも、ともに外せない要素だと考えています。大切なのは両のバランスで、感情を重視しすぎると、傷みを慰め合うような甘えた関係になってしまうように思いますし、その一方でデータばかりですと、良い時はいいですが、悪くなった瞬間に切れてしまうような冷たさを感じます。じゃ、どんなバランスが良いかと言いますと 51:49でデータよりも感情を優先した方が良いように私は思います。ヤクルトスワローズの黄金期を築いた野村監督がデータを重視しつつ、感情にも同時に配慮することで落ち目の選手をやる気にさせ、再点火させることで「野村再生工場」と称えられた、そんな絶妙なバランスに憧れを感じます。
感情を揺さぶられるbloodthirsty butchers