No.0022:市場原理とモラル〜下請けのやったことだから
2015.11.28

 最近、私は日本に可能性を限定することなく、海外で活動するために英語の習得に励んでまして、来年の6月までにTOEIC800点をゲットすることに決めました、と大口をたたいたものの、覚えては忘れ、の繰り返しで、僕の頭は穴のあいているバケツなのかな?とか時に軽く落ち込みながら仕事に向かう電車の中で悪戦苦闘しているような毎日です。その中で、出てきた単語にcommitmentという言葉があります。

commitment 責任、約束、献身、必達目標

 日々、よく耳にする言葉ではありますが、随分と曖昧な言葉だとの感があります。かつて相当、経営が傾いていた頃の日産カルロスゴーン社長が再生計画を発表したときに使われた言葉で、それを聞いた瞬間、僕は格好良い!とか思いつつ、その意味は???でした。また経営の学校に通っていた頃に「コミットする」なんて表現を使ってはいけない、だって曖昧すぎて人の心に届かないから、みたいなことを講師の方がおっしゃっていたのを印象的に記憶しています。

 前置きが長くなりましたが、前述のとおりコミットメントにはいろんな意味があります。電車の中でコミットメント、責任、約束、献身・・・って頭の中で何度も繰り返していたところ、横浜の傾いてしまったマンションの話とリンクしてしまいました。

 発注元はあからさまに責任回避の姿勢に終始、お客のことなんて眼中にない、献身なんて微塵も感じられない、なんてことが雑誌に載っていました。悪いのはチョロまかした下請けで自分たちは関係ないってふうです。

 確かに、下請けの施工に手抜きがあったことは間違いなく、下請けは責任を免れることは出来ません。が、しかし、いびつな階層構造の中にあって、発注元からの無茶なコスト削減、納期厳守の要求があって、でも今後の取引を考えるとノーはありえない、なんて悲惨な状況も少なからず影響していたのだろうな?って勘ぐってしまいます。さらに下請けの施工結果を発注元がチェックして、お客への販売のOKを出した(インチキを見抜けなかった)責任も忘れてはいけないと考えます。

 私が従事している業務用のシステムを構築する業界は、多層的な下請け構造が、建設業界に似ているなんてことが、よく言われています。でも、システム上の障害が発生して、その原因が下請けの方の、いい加減な仕事によるものだったとしても、発注元が、お客さんから、こっぴどく怒らているときに「下請けの方の責任なんです」なんて絶対に言えません。お客は発注元から買ったワケですから、最終的な責任をとるのは発注元だとの認識を私は持っています。

 私たちが身を委ねている資本主義社会、つまり、自由競争社会では2つのインセンティブ(やる気の源となる刺激)があると最近読んだ経済誌に載っていました。一つは利益最大化のために努力するぞ!っていう正しい、それです。もう一つはチョロまかして上手くやってしまおー!っていうズルい、それです。私が株を保有してしまった不適切な会計処理に手を染めた東芝みたいに。学者の実験によると競争がある方が、ない方よりズルをしてしまう心理的な働きは増すようです。

 以前、会社の同僚と2人で飲んでいたとき、僕が「何で仕事になると、えげつなくなってしまう人がいるんだろう?多分、仕事で関係してなかったら、普通に良い人だろうに」みたいなこと言ったら「何眠たいこと言ってるんだ? 競争には、そういう側面もあるもんだ」みたいなこと言われて一蹴されてしまいました。彼は資本主義的に大人で、子供な自分が少しだけ恥ずかしくなりました。

 今、マンションの問題で、下請け業者への批判の影に隠れて、嵐の過ぎ去るのを、ジッと待っている発注元を見ていると、私は法律の詳しい難しい、難しい解釈を正確に理解しているワケではありませんが、人道的に格好のよいものではないと感じます。私は格好よく生きるために日本人の美徳である侍の魂みたいなプライドを持ち続けていたい、なんて言うと笑われてしまうのかもしれませんが、せめて 節度くらいはわきまえていたいものです。継続的に厳しい自由競争社会で生き残っていくためにも。
侍の魂を感じるbloodthirsty butchers