No.0021:瞬間と永遠
2015.11.08

 少し前のことになりますが7月1日に地球の自転のスピードと標準時のズレを調整するために時刻に対して1秒を挿入する例外的な処理がなされました。いわゆる、うるう秒なるものです。その時の日経でのコラムでは普段なにげなく接している時間という概念に関連して意味深な、どことなく悲しげなランボーの詩を紹介していました。

また見つかった、何が、永遠が、海と溶け合う太陽が

 ゴダールの映画「気狂いピエロ」の衝撃的なフィニッシュでもこの詩が引用されていました。永遠であって欲しい瞬間。大切な人との大切な空間での大切な時間。もちろん永遠なんてあるワケなくて、いつかは終わりとか別れがあって、だからこそ瞬間、瞬間を大切に味あわないといけないなと強く感じます。

 瞬間について私の心に深く刻み込まれていることとして、高校生の頃に読んでいたエフというレーシングドライバの漫画でのワンシーンがあります。ライバルとのポジションニング争いか何かによって、コーナーの壁にに突っ込みそうになった時、主人公は、 時間は十分にある、絶対に回避できる、みたいに考えることで絶望的な瞬間の危機をスローモーションで捉え、冷静に乗り越えました。

 お客さんへの納品直前でトラブルが発生して「あーもう間に合わない!」って焦ってしまうような時、このシーンを思い出して、どんなに切迫した状況に直面したとしても、何かしら答が潜んでいる、だからゆったり構えよう!って自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻しています。絶望的なホントに絶望的な状況下で午前3時とかにひらめいて、タイムリミットである夜明けまでに何とかできた、みたいなこと、幾度かあります。

 武田信玄の有名な風林火山。wikiでは次のように説明されています。

 戦争というものは敵をだますことであり、有利になるように動き、分散・集合して変化していくものである。だから、(軍隊が)移動するときは風のように速く、陣容は林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、どのような動きに出るか判らない雰囲気は陰のように、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように、攻撃の発端は敵の無策、想定外を突いて雷のように敵方を混乱させながら実行されるべきである。

 だます、というと聞こえが悪いですが、競争の中に身を置いている今の自分において、とても参考になる内容です。自分を取り巻く移ろいの激しい状況に対して、瞬間、瞬間に適切に変化することで、永遠に成長できたら素敵だと思っています。

 瞬間の失敗による結果は永遠だ、なんて、どうしようもなく悲観的に思ってしまってたことが、かつては多かったように思います。そう、かつては、です。失敗を、うれしそうに、永遠に、リピートしてくれる厄介な人もいたりして、さらに憂鬱は、憂鬱に。今は、幾分、よい加減に、考えられるようになり、そんなことなしに素敵は、訪れない、それを笑うのは、素敵も、痛みも、諦めた退屈な人なんだ、ってことに気づいて楽になりました。自己主張のプロフェッショナルである政治家だって時として、失言をしてしまうこともありますから。むしろ彼らは、そういった失敗を通じて洗練を増していっているように思います。

It’s no use crying over spilt milk.(起きてしまったことは仕方がない)

 希望とは過去にしかない じゃなくて 人は年を重ねた方がよりいいんだ って言葉を信じていたいものです。貴重な瞬間、瞬間を味わいながら熟成の進むウィスキーみたいに。
ボブ・ディランのforever young