No.0066:セレディピティ 〜 思いもよらぬ展開の素敵
2019.05.29

セレンディピティとはwikiによると

 素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

 と説明されています。 何かを成し遂げないといけないから、必至に努力する。その結果、当初の何かを得ることはできなかったけども、もっと素敵な意図していなかった何かが転がり込んでくる、そんな、結果オーライな感じだと私は認識しています。

 セレンディピティの代表的な話しとしてポストイット(付せん紙)の開発の話しが有名です。強力な接着剤の開発時の失敗の連続の中で、よくつくけど、簡単にはがれる、妙なものが出来上がってしまい、接着剤としてはダメダメだけど、本の栞に使えるかもしれない、みたいな発想から、付せん紙としての活用に至ったそうです。

 私もこのような、偶然の思いもよらないハッピーがいくつかあります。

 例えば私はスマホを手放せない性格で、バッテリーが50%を切ると不安を感じてしまう性格です。なので携帯用のバッテリーは欠かせません。ところが外出直前になって、そのバッテリーがない。さて大騒ぎです。イスの下、引き出しの中、ベットの下と探しまくっていますと、失われていた左右独立型のイヤフォンの片方が、引き出しの中から出てきました。2つが揃っていないことにはあまり意味のないものですので、偶然の幸福に満たされてしまいました。バッテリは、えっ、いつそこに入れたんだっけ?なバックの中より発見されました。

 別の例で、ITエンジニアとして参加したプロジェクトにおいて、それまで無知だった財務の担当となり、だるいな、色々とお客さんからしごかれるんだろうな、、、と、始めは暗い気持ちでしたが、徐々に面白さに目覚めてしまい、やがて、これは絶対にものにしたい!と強く思うようになり、かなりの時間を費やして勉強することで、様々な指標を読めるようになりましたし、簡単な事業計画書は作れるようになりました。

 寄り道。突然、炎のごとく取り憑かれてしまう、本来の道から逸れて。そういう事に可能な限り、素直であること、つまり、波が来て、それに乗ってみて、また次の波にも乗ってみて、うまく乗れることもあれば、そうでないときもあったり、そんなことの連続で少しづつ、自分のもしかしたら出来るかもが、当たり前になっていくのって素敵だと思います。少しだけ、遠回りではありますが。
 
 
 波を波として、つまり機会として認識するには、普段の何気ない変化、気づきに対して、犬みたいに鼻をクンクンさせながら、詳しくはまだ分からないけど、何か面白そうだと感じ続けることだと思っています。オレには関係ない、なんて心を閉ざしていますと、セレンディピティから見放されかねません。だから明確なこれだ!が現れるまでは仔細な中長期の計画とかは少し脇に置いといて、今、今、今の連続の中から感じる何かを大切にしていたいと思っています。工場の機械に設置されたIoTのセンサーが、機械から発せられるごく僅かな異常音を聞き分けることで、機械故障による操業停止といった大事故を未然に防ぐように。

書を捨てよ町へ出よう
寺山 修司
偶然出会った幸福の歌