No.0069:所有〜縛られるくらいなら捨ててしまおう
2019.08.31

 先日カリフォルニアの沈没船を調べたところ、乗客のひとりが、90キロの金塊をくるんで腰に巻きつけ、その重みで船底に沈んでいた。はたしてその男が金塊を放さなかったのか、それとも金塊が男を放さなかったのか? ジョン・ラスキン
 
 上記は何が人に幸運をもたらし何が不幸をもたらすか分からない「人間万事塞翁が馬」を端的に表している例ですが、昨今、幸福のシンボルである所有に対するネガティブな反応が増えているように思います。目的化された所有への執着によって人は身を崩す、本末転倒と言えば身も蓋もないことですが、誰でも陥りやすいワナだと考えています。サッカーのボールポゼッション(所有)が必ずしも勝利に結びつかないように。
 
 大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばとおぼえしか。 吉田兼好
 
 静かな山奥で穏やかな雰囲気に浸っていたが、人の所有を示すミカンの木の囲いだけは残念だ。
 
 かつてブランドモノを所有することでこんなに高価なモノを所有しているオレってスゲー、そうだよね?ってステータスシンボルの効果が昨今低下しています。バブル崩壊によって、過度な拝金の格好悪さが浸透し、金は必要であるけどもそれが最終目的ではない、どう自分の信念に従って美しく生きれるか?が重要だ、と考える方が増えたことによると私は考えています。似たような考え方であるESGという言葉が最近かなり使われるようになってきました。環境にやさしい、社会に貢献する、インチキしない、そういう社会道徳に乏しい、所有最優先の格好悪い会社は取引先や顧客が離れていってしまうため存続が難しくなってきています。アマゾンの森林破壊を助長したブラジル企業を敬遠する動きが尖鋭化しているように。
 
 一方でモノの値段によるスゲーに頼らない背景を持っている素敵なモノ、つまりモノから生じるストーリーを所有する喜びがあると思っています。パソコンのmacの所有は、自由になるために、つまんない官僚組織に負けない武器として反骨を呼び起こしてくれます。ジョンレノンの丸眼鏡の所有によって、都合の良い権威への彼の挑戦を共有できた心地よさを感じることができます。LEVI’Sの縦落ちしたジーンズの所有によって、独善的な正しさを押しつけてくる大人への反抗の象徴だったジェームス・ディーンに少しだけ近づけた満足感が得られます。(実際にジェームズディーンの愛用はLEVI'SではなくLeeのようだったのですが・・・。僕のイメージは高校の頃にLEVI'Sで固まってしまいました)
 
 また生きていくためのノウハウの所有の観点として、自慢の暗記力によって自慢できる大学に入って自慢できる企業に入って人生安泰だ!後は、主張しすぎることなく、程よく指示に従っていれば、ずっとそれなりの報酬がチャリンチャリンと定期的に落ちてくる、そんな素敵が、時間の経過とともに、素敵が平凡に、さらには不幸の源に変わろうとしています。日本企業が軒並み国際競争力を落としたことで過去の成功パターンの継続が否定され、つまり指示への恭順から、自らの判断、創造が求められるようになった、しかし、その成功パターンを一度所有してしまいますと、それを捨てるのは非常に難しくなります。それを捨てることは、過去の自分への否定になるからです。今までの自分は一体なんだっんだ?ってことで。
 
 早く過去の栄光を捨て去り必死になることで新たな競争優位を得ることも可能ですが、幸か不幸か日本は雇用保証の厚い国ですので、会社が相当マズいことにならない限り簡単に首を切られることはありません。ですので何となく徐々にマズい状態に陥りながらも過去を継続し、いけていない現状の原因を自分以外に求め、もっと自分は出来る、所有出来る!みたいな不幸な勘違いで、努力の機会を失い、結果的に他者依存、このような状況が最近よく耳にする社内失業者の増加につながっているように思います。人は所有すると現状維持に堕落しますし、その一方で所有できない、つまり欠乏は、人を危機感に基ずく努力により引き上げもするし、人によっては嫉妬によりポピュリズムに逃避したりします。日本の冠たる家電メーカーがその過去の栄光の継続に妙に固執したことによって失われたイノベーションのジレンマみたいに。
 
 まずは過去を捨てて新たなスペースを確保しないことには、新しい素敵を受け入れられない。
 
 作家のヘミングウエイは空腹の時に、いい文章が書けるみたいなことを言っていました。私も凄く納得で、所有に乏しい時の、これからどうしよう?な緊迫感が自分を本気にし、アイデアが浮かんできて実行のために必死になれます。逆に暫くは安泰、安定、楽な所有が許される環境下では、心の底から湧き出るアイデア、必死さに乏しい状況でした。ですので切迫感とか、渇望感、屈辱感といった感情は、何かを生み出すガソリンみたいなことだと本気で思っています。少し余裕(弛み)が出た場合、過去のそういった感覚が蘇ってくる、思い出したくもない過去を振り返り、ネジを巻きなおす必要があると私は考えています。野菜が美味しく育つために程よい厳しさを必要とするように。

 

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切迫感によって「つきぬけた」い