No.0072:Live forever〜ずっとそばに
2019.11.30

 表題は私の大好きなイギリスのロックバンドoasisの曲です。どうして、このような標題かというと、私の大切な人が先日、亡くなり、なんとも言い難い悲しみに打ちひしがられていた(る)からです。
 
 しばらくの間、こんな事、嘘だよな?と、幾度か頬をつねる毎に、痛みは確実で、避けがたい現実で、これからどうしよう?・・・しばらく何も考えられない・・・。少し時間の経った今、振り返ると、随分と記憶が抜け落ちている変な時間が流れていました。普段、プロジェクトマネジメントの仕事をしていまして、ヤバい時こそ狭い主観に陥ることのない客観で以て、考えられうる選択肢を洗い出し、その中より良し悪しの両側面を考慮した上で、最も最適(マシ)な選択が出来る、常に冷静かつタフでありたいと強く思っていましたが、意図しない強烈なショックによって、無防備で呆然と固まっている自分に不甲斐なさを感じてしまいました。
 
 あの時、こうしていたらこうはなっていなかった・・・かも、を幾度、考えたことでしょうか。よく歴史にIFはないと言いますが、そんな仮の因果を考えても仕方ないことを、考えないわけにもいかなく、グルグル回っていました。最近はそのループの回数も随分と減って来ました。日薬というヤツです。日の経るに従い、誰も今となっては正解なんて分からないんだ、って思いで以て少しず少しつずつ、仕方ない、に向かいつつあります。

bob dylan:Don't think twice it's all right

  同じように故人との思い出は、私をひどくせつない気持ちにさせます。生活の部分、部分が故人を思い出させるきっかけとなって、もう二度と戻ってくることのない、表情、話す言葉、匂い、といったリアル過ぎるイメージが再現され、哀しみに襲われます。ただ、そうやって故人を想うことが供養になると考えますと、少しだけ救われた気持ちにもなれます。

 かつて、同じように大切な人の葬儀の時に悲嘆していた私は、ある人に、もう一度会いたい、会えないのならば、それまで霊の存在を信じていませんでしたが、もしそれが存在するのなら、霊として会えないものだろうか?涙ながらにお話ししたところ、肉体として死んではしまったけれども、僕たちの心の中には永遠に生き続ける、と励ましていただきました。その言葉は、以降、妙に心に刻みこまれ、辛いことがある毎に、どこかで故人が見守ってくれている、だから「大丈夫だ」と少しだけ感じることが出来るようになりました。

oasis:Live forever

  私はポジティブシンキングという言葉をあまり好きになれません。どうしてかというと、いつも積極的ではいられませんし、ネガティブな影のような一側面を持っているからこそ人は深い味わいみたいなものを醸し出させるように思うからです。ただ少しだけ時間を経たことで徐々に整理されつつある今、「ポジティブ」に考えるとすると、故人の分も生きて生き抜くんだ、と強く思えるようになってはきました。暫くはこのような気持ちになれたり、落ち込んだりの凸凹な時間、さらには日々が続きそうですが、少しずつポシティブな時間を増していけたらと考えています。
 
 君がなんとなく生きた今日は、昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ。 アメリカの先住民に伝わる言葉