No.0075:盛者必衰の理〜トップであり続けることの難しさ
2020.02.29

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もついにはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 
平家物語
 
 自惚れてしまった結果、世間から反感を食らって滅んでいった平家について語られていますが、その平家を平家として知らしめた清盛は、奢ってなんかなくて、周囲に気配りのできる、敵を作らないバランス感覚に優れた、さらに先見性のある、素敵な人物だったということが先日のNHKの歴史番組で紹介されていました。権力を盤石にした後の多少の強引さと、当時はまだ身分を低くく見られていた武士に上に立たれてしまった貴族のやっかみ、さらには歴史は後の勝者による都合のよいフィクション、等々によって、全くの嘘ではないものの誇張された愚か者のイメージが作り出されてしまったのかもしれません。卑屈ないじめっ子がターゲットの至らなさを大袈裟に責め立てて全然ダメなヤツに貶めてしまうように。清盛は、源氏に光を当てるための陰にはもったいなさ過ぎる人物に思います。

 本当のところは定かではありませんが、平家物語で語られているような天狗になって失敗してしまうことは誰しも経験しうるワナで、今回はそういった例をいくつか紹介し、そういったことへの嫌悪を感じていただき、そうならないための材料として少しでも意識いただけたらと思います。
 
 まず始めにイノベーションのジレンマという言葉をご存じでしょうか?現状が上手くいっていると、中々次の成功のため現状と異なる方向への努力ができない、何故ならば今上手くいっているんだから、そこに一生懸命であればいい、それ以外は無駄でしょ・・・とか考えている間に、自分たちよりも優れたやり方、商品、サービスが登場し、あっという間に成功は過去のものとなりテッペンから蹴落とされてしまうようなことです。

 例えば戦前の日本の主要産業だった紡績業は、他国に先駆けいち早く産業革命によって効率性を手にした英国の慢心、つまり長きに渡った市場の独占によって、設備が古くなっている現状に目をつむっていた隙を、ゼロからスタートした日本が最新鋭の設備の導入によって英国のシェアを奪うことに成功しました。イノベーションのジレンマの好例です。がしかし、ここからは余談になりますが、今の米国と同様に保護主義により当時の英国は日本を市場から閉め出してしまいました。英米といったアングロサクソンは外交上手だとよく言われますが、現在の英米の自国中心の政策を見てもよく分かりますが、自分たちの利益のために機転が利きすぎる、すこし狡いイメージが私にはあります。

 別の例として自動車メーカーとして世界一の時価総額を誇るトヨタですが、社長の豊田章男さんの危機感がハンパありません。今後のCASE(※)時代の到来に向けて、自動車が、かつての日本の薄型テレビみたいに、汎用化の波にさらされ、もう車を製造することに価値はそれほど残されていなくて、車を所有しないサービス化、データの分析による渋滞の解消や自動運転の洗練、自動運転の車中での楽しい過ごし方、など新たな稼ぎどころの変化が予想されています。そのような変化に上手く対応しないと、自動車は電動になることで構造がシンプルになり誰でも作れる、だから安く作れるならお願いするわ、、、みたいな大企業に下請けとして安く使われ、イライラを抱えている町工場みたいになってしまう危機感がトヨタにはあるように思います。
 
(※)CASE「Connected car(つながる車)」「Autonomous(自動運転)」「Service(サービス化)」「Electricity(電動)」の頭文字を取ったもので、自動車の次世代技術を示します。

 続けて自動車の話しになります。トランプ大統領の保護の対象として有名になった、産業のグローバル化によって製造業としての競争力を失い荒廃してしまったラストベルト(さびついた地帯)と呼ばれる地域があります。その中心的な存在である、かつて自動車の街と呼ばれ2013年の自治体としては世界最大の負債を抱え破綻したデトロイトが、最近、EV(電気自動車)の生産拠点として息を吹き返しつつあり、失業率もアメリカ全体のそれと変わらなくなってきています。ここからは私の勝手な想像ですが、元の繁栄を取り戻すには一度、どん底を見ないと、負けの味を噛みしめないと、リセット出来ないように思います。もう墜ちるところまで墜ちた、もうこれ以上の下はない、だから思いきって変えてみよう、始めてみよう、みたいなハングリーなエネルギーを燃やしながら。少しづつ失われていく段階ではどことなく不安を感じながらも、でもまだ大丈夫だ、と、どうにかしようとの行動には至らずダラダラと衰退の道を甘受してしまうのではないでしょうか?社内での立場はとうに失われているものの、そこを立ち去る勇気もなく定年までのカウントダウンをひたすらカウントしている保守的すぎる中高年みたいに。

夏草や兵どもが夢の跡
松尾芭蕉

 調子が良いときほど気をつけないといけない、といったお話を耳にすることがあります。調子にのって横柄になったり、自分のやり方に固執し過ぎたり、変に現状の快適さのキープに執着してしまったり、みたいなことで。逆に、ドン底を経験した人は強いというお話も何回か伺いました。ドン底を知っているので、ピンチの時にしんどいな、でもあの時に比べたらマシみたいなことで冷静に対処できる、またはそこまで墜ちた悔しさをバネに妙に頑張れるといった内容です。これから雇用の流動性が高まって、過去の古き良き時代を胸に組織に居座り続け何とか逃げ切るぞ!な人が逃げ切れなくなることが増えていくと言われています。何故かというと結果への評価に重きを置く国々に置いていかれつつある今、年功型賃金、終身雇用といった日本型雇用システムの継続が限界を迎えているためです。そうなりますと、痛すぎる失敗とか、屈辱、後悔といったことが増えていきます。居座り続けることが可能であれば少しづつ失われていくファジーな傷みはあるかもですが、圧倒的な絶望には出くわすことは少ないでしょう。でもそういった絶望が長い目で見ると自分を高めてくれる新しいことへの挑戦のきっかけになると私は考えています。大概において、居座っていては良くても今までの連続的な延長に留まり、リセットに伴う非連続的な成長を手にすることは難しく思います。

 

人間万事塞翁が馬
残念が後の成功につながったり、逆に歓喜が後の禍を招く、つまり何が幸、不幸につながるか分からないこと。

beck:ずっと無