No.0076:ナイトの不確実性〜どんだけヤバい?
2020.03.29

 このところ新聞、ニュースといえば新型コロナウイルスで持ちきりです。平時ではニュースになるようなことが今は紙面に空きがない、だから悪い発表するには良いタイミングです。大きなニュースの裏で静かに離婚を発表する情報巧者な芸能人みたいに。このような非常事態に、我が家は不要不急の外出は避けるようにとの政府の要請を受け、家に籠り予定より1ヶ月近く遅れてようやく昨日届いたSWITCHのソフト、リングフィットアドベンチャーを楽しんでいます。この遅れもどうやらコロナウィルスによって中国での生産が停滞したことが影響しているようです。 私たちの生活は中国を始めとする諸外国と切ってもきれない影響し合う関係で、対岸の火事では済まされない関係になったことを痛感してしまいました。
 
 まさにブラックスワン(恐らくは起こらないだろうけど、万が一起きてしまったらマジでヤバいこと)なコロナウィルスが猛威を振るっている今、先の見通せない、一体どこまで感染者、死者、経済的損失が拡がるのだろう?2009年のリーマンショック越え?みたいな声が日増しに高まり、計り知れない不安が拡大しています。これくらいの範囲で、このくらいの時期まで、このくらいの被害、みたいな 「これくらい」が想定できるといいのですが、そういうものがあ全くありませんので本当に大袈裟に色々と勘ぐってしまいます(勘ぐりではなく相当な悪い予感が的中してしまうこともないわけではないですが・・・)。
 
 今までの経験とか、確率論による計算とかで予測できない底抜けな怖さを感じる状況を経済学的には「ナイトの不確実性」と呼んでいます。アメリカのダウ平均が3/16に過去最大の下げ幅を記録しました。売りが売りを呼ぶ、超悲観的な負の連鎖が加速しました。底抜けな不安真理によってマスクを始めとする生活必需品が不足し、昨日は即席ラーメンがスーパーから姿を消していました。インフルエンザの免疫みたいに過去の経験がありますとある程度の予測がつきますので、どんなに悪くてもこれくらいだ、みたいなことで不安は「ある程度」に留まります。その一方、初めてのことは、ひょっとしたら楽勝かもしれませんが、逆にひょっとしたらとんでもないどハマりが潜んでいるかもしれない「どんだけ」が想定できないことで不安が増幅されます。対処としては、 過剰な不安を抑えるために、後になったら大げさと批判されるくらいの規模や見た目に派手な対策が有効だと新聞には載っていました。急激に高じた不安心理は何らかのきっかけによって安心に落ち着くのも早いそうです。
miles davisの「ある程度」がタイトルになっているアルバム 

 また今は滅多にない最悪この上ない時期ですが、考えようによっては、何時にない機会とも捉えることができます。株式市場はバーゲンセール状態です。底は誰にも分からないと著名な投資家であるジム・ロジャーズ氏も述べていましたが、長い目で見たら割安なのは間違いないと思います。
 
尻尾(最安値での買い)と頭(最高値での売り)はくれてやれ。
 
 同様に働き方改革の推進の良い機会でもあります。会社という固定化された場所、時間に一同が集まって仕事する当たり前が、場合によってはそうでなくてもいいじゃん、に意識が変わる良いきっかけだと考えます。会社に通勤して集まることが集団感染の脅威になる、だから在宅ワークに頼る他ない、差し迫られた状況になりませんと在宅ワークの出来ない理由をこれでもかと考え続けるような超保守派を説得するのは困難だからです。確かにリアルによるコミュニケーションが必要な場合はあります。相手の感情、つまり表情、声の調子、仕草等を察しながら共感を伝えつつ、提案、意見することによる合意、調整を欠くことは出来ません。その一方で、自分ひとりで出来ることに関しては場所、時間を限定する必要はありませんし、この類いの時間は個人差はあると思いますが労働時間に占める割合は驚くほど大きいはずです。同じように遠隔治療や遠隔教育に関しても否定的な方が否が応にも、その活用を無視できない状況に変わりつつあります。
 
 このような中、ITサービスベンダーは自社のサービスを知って貰える好機と捉え、暫くは無償で提供し、顧客にとって自社のサービスがなくてはいけない状態を作り出そうと鼻息を荒くしています。会議や情報共有、セキュリティ対策といった在宅ワークを支援するものから、学校に通えない子供への教育サービス、はたまた患者と医者がスマホでコミュニケーションできるといったサービスが春先までは無料なんで、ぜひお試しください、なキャンペーンが展開されています。麻薬の売人が最初は利用者に安値で提供し、中毒になった途端に価格を引き上げる、もしくはマクドナルドが子供向けにおもちゃのついた格安メニューを提供することで味、さらには家族の楽しい外食体験を幼少期に擦り込んで一生のお客にしてしまう、巧妙みたいに。
 
 現在のコロナウィルスへの課題は勝ち負けではなく、負けをいかに小さく留めるかにあり、負けない方法を探すのではなく、負けの被害をいかに減らすか?が焦点になっています。ですので何を大切にし、何を諦めるか?を明確にする折り合いが重要です。何かを失うことを許容しない綺麗事はかえって被害を拡大させます。私はかつてちょっとした自分の欠点にばかり目が向きすぎ、他者の素晴らしさに目を奪われ、自身を、自信を、成果を、失っていた時期があります。完璧であるべきとの想いが自分をドン底に突き落としていました。いつからか、そんな苦しみより抜け出すべく、自分のダメを許容することで、他者の凄すぎが場合によっては飾りに他ならないことに気づけるようになることで客観を得て、自分を正常化でるようになりました。
 
 似たような話として、改善の手法としてPDCA(計画してやってみて振り返って修正する、を繰り返す)という言葉を耳にタコができるくらい聞かされてきましたが、計画なんて悠長なことしてたら刻々と変化する状況に対応できない!!!そんな中で注目されるようになったのがOODAです。観察し状況把握し決断し実行、を繰り返す、米軍で考えられた戦時の緊迫した中での活用を前提とした、限られた時間、情報の中で、よりマシな判断をするための考え方です。今の差し迫った状況にぴったりです。
 
 先行事例に乏しく、データに基づいてAIが答を出してくれるわけでもない「ナイトの不確実性」が蔓延している中、素早い試行錯誤と修正の繰り返しが求めらます。判断の誤りもきっとあると思いますが、それをすぐに認め修正することで、全体として、長期として、最も良い成果が得られると私は考えています。前例に縛られない尖ったアイデアが前例主義の上司の承認を繰り返すことで可能性が潰されるような残念に陥って欲しくないと願います。そう言えば野党政治家の政府の臨時休校への政治決断に対する執拗な根拠等の追究に残念を感じたのは私だけでしょうか?この急場に、そんな悠長なことは言っていられない、正解は今の時点で誰の頭の中にない、それは危機が去った後の結果に対する評価によって作られるものですから。
 
何が最善か?ではない何が1番マシ?の選択