No.0077:余白
2020.04.30

 私はかつてWEBページのデザインについて、可能な限り画面のスクロールを少なく留めるため、情報を限られたスペースにギュウギュウに詰め込む、つまり余白を排し文字や画像といった情報をスペースにびっしりと敷き詰めることが、見やすいデザインだと考えていました。しかし、その後、改めてWEBページデザインを学び、ごくごく限られた情報をぽつんと配置し、その周囲をたっぷりすぎる余白で埋めつくすことで、落ち着いた、シンプルな洗練を表現できることを知り、ひどく感心させられたとともに、それまでの自分の感覚のセコさにうんざりしてしてしまいました。それ以降は、余白やシンプルさを、WEBページデザインに関わらず意識するようになりました。分単位に作り込まれた計画に沿ったパック旅行よりも、計画を持たない行き当たりばったりの旅行の偶然がより良い思い出となるように。
 
知的な馬鹿は、物事を複雑にする傾向がある。
そうならないためには、少しの才能と多くの勇気が必要だ。
アインシュタイン
 
 似たような話で、かつて日本の家電メーカーは、機能的、数値的な充実に猛進(盲信)した結果、同じ競争軸で競ってきた圧倒的な価格競争力を持つ中国、韓国などのメーカーに敗北し、さらに必ずしも機能的、数値的な充実度は高くないものの、デザインや使い勝手に優れ、所有することによるストーリーを兼ね備えた欧米の製品に歯が立たない、とほほな状況にありました(今もそんなに状況が好転しているワケではないですが・・・)。人件費の高い日本人によって作られる製品は価格競争には向かない、だから使いやすさとかデザイン、またはその製品の持つ意味、ストーリーでもって価格競争を避ける必要があります。SONYは昔からそのような意味を大切にする製品を多く創ってきましたが、どちらかというとその反対だったパナソニックもここ数年、機能満載(不要な機能も少なく無い・・・)の数値重視から意味(余白)重視に変わりつつあるように感じます。いろいろと産みの苦しみがあるみたいではありますが。
 
「これでいい」ではなく「これがいい」
無印良品
 
 ゴチャゴチャした不要を省くのは当然として、必要、例えば物語の結末、を敢えてぼかして、読み手の想像(創造)心をくすぐるような、皆さんもご存じの小説の展開についてのテクニックがあります。余白は各々が自由な輪郭で、色で、デザインしたらいい、と。同様にこれから育っていく息子たちには、答えを教えるのではなく、方向性とか、考え型を教える必要性を強く感じます。学校の勉強と違って、実社会の日常において、明確な答がない、つまり同じような問いに対して、状況や立場によって選択する「答」が異なることが随分とありますので。
 
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ。
中国の哲学者 老子
 
 最近、家でもない、職場でもない、自分が自分でいられるサードプレイスを持った方がいいといった話しを何度か見聞きしました。人との関係から距離を置いて、一人で過ごす時間はとても贅沢です。つい最近まで私はカフェに入り浸っていましたが、ここ最近のコロナ禍のため、それが許されなくなり、仕方なく自宅のリビングを占拠している息子の使われていない子供部屋をアジトにすることが多くなりました。そこで幾分弱めた照明の中、好きな音楽を流しながら、映画を見たり、興味のあることの情報を集めたり、本を読んだり、の時間は、新しいことへの出会いのきっかけになる素敵な余白です。
 
  コアとなる能力(私の場合はITの技術)ばかりではない、遊び、芸術、哲学、音楽、文学といった、余白への造詣、幅広さによって長期的なスパンでコアに磨きをかけることが、キャリアの多様性といった観点で大切だと私は考えています。例えば過去の偉大な哲学者の唱えた主張は今となっては科学的に間違いであることは明確であるものの、その主張に至るまでの思考の課程は、今、自分が対峙している課題解決へのヒントになると著名なコンサルタントが述べていましたが、私にとっても目からうろこでした。また私が大好きな麻雀から学んだことは、ピンチの時に悲観に陥りすぎない、チャンスの時に浮かれすぎない、つまり自分の感情を冷静に保つことの大切さで、今の仕事にも多いに役立っています。このように余白を大切にすることで、自分の専門分野(IT技術)一辺倒に陥ることのない多様な側面から判断、行動できる自分でありたいと考えています。
 
You should know everything about something. 
You should know something about everything.
自分の専門に優れた能力を持つとともに、
自分の専門外についても語れる意見を持ちなさい。

早稲田大学大学院教授 川本 裕子 
最近出会ったRoland Kirk