No.0080:オンリーイエスタデイ〜ついこの前までは
2020.07.31

  表題は著者F.L. アレンによって書かれた1920年代のアメリカを描いた本のタイトルです。ある経済誌で著者が大恐慌に突入していく当時のアメリカの様子を次のように見ていたと表現されていました。

 繁栄の時代が終わり「旧い秩序は新しい秩序に場所をゆずりつつあった」

 ついこの前(オンリー・イエスタディ)までの、思いとかやり方、正しさが何かをきっかけに様変わりしてしまうことがあります。

 今回のコロナウィルスの蔓延によって、これまで行うに越した方が良いのだけれども、今のままの方が今のままによって利を得ている人にとっては都合がいい、もしくは変えるのが面倒、さらにはひょっとしたら変わってしまうのは危ないかもしれない、なんてことで躊躇されていたことが、否が応にも新たな対応を迫られ、変化がもたらされる、そういうことを『新常態』なんて言葉で表現されています。

 コロナ蔓延によって活発になった『新常態』の例を挙げます。

  • 在宅勤務
  • 遠隔診療
  • リモートラーニング
  • 家族一緒にいる時間
  • 取引に関わる契約書等の書類や印鑑のデジタル化
  • ネット通販
  • 利益(株主)至上主義からESG(環境、社会、統制)重視
  • 不要な移動に対するもったいないの意識
  • 人事評価における成果の重み
  • 集中 → 分散 の動き
 以上のようなことは今後、幾分収まっていくこともあると思いますが、ある程度、もしくはことによっては大いに『新常態』として続いていく、つまり変わってしまうことになりそうです。良くも悪くも『ついこの前までは』みたいな会話が増えそうです。

 今回のコロナのような 大きな災いをきっかけに、これまで必ずしも適切ではないにも関わらず固定化されてきた状態が解き放たれ、現状にそぐうための新たな動きになる ことは過去幾度も見られたことです。

 第二次世界大戦での敗戦をきっかけに軍人に支配されていた日本の政治が民衆の手に戻され平和、経済発展がもたらされました。ついこの前までは焼け野原だったにも関わらず。今、日本は再びやや低迷の状態にありますが、一時のジャパンアズナンバーワンと呼ばれるまでに這い上がれたのは本当にビックリです。今後、再びどん底まで墜ちてから『なんとかしないと』で修正が始まるのかな?と考えてしまったりします。少しづつ、少しづつファジーな痛みを感じながらどん底に向かって。

 ゴキブリが主力商品『ペヤングソース焼きそば』の中から見つかり、半年にわたり生産を停止した上に多額な費用をかけて工場の生産設備や運用を徹底的に見直し、真っ新な状態からやり直しV字回復を成し遂げたまるか食品。ついこの前の販売停止期間中にはもうあの四角いヤツは食べられないかもな不安があったにも関わらず。ゴキブリの一件で更にブランド力が上がったように感じます。

 MLBのアスレティックスは資金難のため成績が長期に低迷していました。そこで資金がないことを受け入れ、年俸の低い選手で勝つために、徹底的に過去のデータを分析し、多額の資金を必要とせずに勝つための要因を探し出しました。例えば必ずしも年俸の高い選手が持っているわけではない選球眼、出塁率といった勝利に貢献する指標に着目しました。そういった能力を兼ね備えた年俸の高くない選手を他チームから獲得しチーム力の強化を図った結果、2001年、2002年と2年連続でシーズン100勝を達成し、2002年には年俸総額1位のヤンキースの1/3程度の年俸総額で全30球団中最高勝率・最多勝利数を成し遂げました。ついこの前まで長きに渡り優勝から遠ざかっていたにも関わらず。

 今、世の中はコロナで本当に大変なことになっていますが、あまり暗いことばかり考えていると、状況は益々悪くなっていくように思います。調子の良い時は修正出来ない、だって良いのだからそのまま続けておけばいいのですから。でも今は続けていたら存続出来ない、存続するための適応が求められている、つまり 今後のための変化の良い機会だと捉え少しでも前向きに進んでいきたいと私は考えるようにしています。むしろピンチはチャンスと紙一重だと考えています。綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが。そう言えば、武田信玄にボコボコにされ九死に一生を得た徳川家康が、その時のテンパりまくった惨めな自らの姿を絵に残し、それを以降の自らを戒める材料とした、しかみ像の真贋が怪しいそうです。そのような自己否定を格好いいと感じていた私としては少し残念です。絵は本物ではないかもですが大失敗した過去を彼が「ついこの前は」として心に残し後の糧にしていたことは信じていたいものです。 
 
カーペンターズのオンリーイエスタデイ