No.0081:加齢
2020.08.30

 最近、コロナ禍のため自宅を出る機会がめっきり減り、それに伴い体重が3kg増えてしまいました。このままではヤバイということで散歩を始めました。がしかし体重が減る様子は全くない、高位安定・・・高原のようなグラフを描き続けています。40代も後半に差し掛かり体の基礎代謝が落ちているようです。すぐにはどうにもならないので筋トレ、散歩、炭水化物過剰摂取禁止の三本の矢を対策として長く続けていく他ありません。在宅ワークの増加によって私のような方が増えていて、不調が伝えられていたRIZAP社にとっては復活のチャンス到来なのかもしれません。

 

散歩の時の一枚 

  このように歳を重ねた結果、変わってきた、変わってしまった、変わらざる他ない、ことがあります。例えばお酒です。量を必要としなくなったと言えばキレイに聞こえますが、多分処理、分解できる能力が落ちたのでしょう。情けない話ですが500mmの9%の缶チューハイ1本で酔ってしまうようになりました。経済的な体質になった、リッター39kmの高燃費なプリウスみたいに、ラッキーだ、と前向きに捉えていたいものです。
 
 服もそうです。購入する頻度がめっきり減りました。20代の頃のをまだ着ていたりもします。ビットコインみたいに採掘できる総量みたいなのが決まっていて、残されている残量が減ってきたのかなとか例えると、少し寂しい気もしますが、発見したものが増えたんだ、貯まったんだ、と前向きに捉えていたいものです。
 
 食べ物に払うお金も減りました。かつては美味しくお洒落なものを食べたいとの想いが強く、そのためには、それなりのお金が必要だと考えていましたが、最近、お金を多く払って得られる満足が、かつてに比べて小さくなったように感じます。別の言い方をすると、より少ないお金で程々の食事ができる機会が増えました。そんなですからコスパ(費用対効果)が常に店選びのど真ん中に居座っています。あまり意識しすぎるとセコい、ケチ、味気ない、となってしまいますので程々にしないとですが。こうして日々確実に必要とされる基礎的消費が抑えられることで、捻出されるお金は自分や子供たちの教育に回し、その結果得られるリターンをさらに教育に・・・といった末広がりなサイクルをグルグル出来るよう、前向きに捉えていたいものです。
 
 記憶力、特にパソコンで言うキャッシュ、ちょっとしたことを少しの間、数分から1日くらい保持しておくことが、怪しくなってきました。以前なら、何となく頭に残っていて、特に数字については暫く忘れようとしても頭の隅にへばりついて離れない鬱陶しさを感じることがありました。しかし、それはもう過去のことです。ただ若い頃と比べてインプットおよびストアされている量も随分と増えました。たっぷり入ってくるのだから、たっぷり出さなくてはいけない、つまり忘れないといけない。じゃないと保管して置くスペースが足りなくなってしまう。断捨離。頭の中に残るのは本当にオモシロイと引っ掛かったことだけでいい、と前向きに捉えていたいものです。
 
 感情の起伏も小さくなりました。楽しすぎる、逆に辛すぎる、と感じることが減りました。中位の範囲を漂っていることが増えたように思います。良くも悪くも。ひょっとしたら知らず知らずのうちに危険を察知して安全な選択をする術を身につけてしまったのかもしれません。一か八かの賭けによるワクワクを放棄することの見返りとして。何かと恵まれていない、何とかしないと!な必死な時の方が後になって、随分と良い思い出になったりします。今の自分を10年後に振り返って、あっ、あの時、充実してたな、と振り返られる判断をしていたい、と前向きに捉えていたいものです。
 
 最後に、カウントダウン、もう残された時間はそう多くない、という焦りを感じるようになりました。かつては感じなかったことです。当然と言えば当然ですが。でも急がば回れではないですが、あまり急がないように行きたいと思っています。無駄があって、いや無駄がないと、遠回りがないと、インスタントな結果しか引き出せないと思いますので。また変に焦って老害な存在になりたくない、でも過去の人にもなりたくない、生涯現役でいたい、と強く感じます。そう言えば、この前、マツキヨに懐かしすぎるカセットテープが売っていました。ノイズのないデジタルの完璧さを補う、その不完全さが受けているようです。そのような暖かさで以て、データやロジックといったデシダル一辺倒の冷たさを補完するような老成に向かえたら素敵に思います。
 
善いことは、かたつむりのように、ゆっくりと進む ガンジー 

 ゆっくりなoasis