No.0084:洗脳〜知らず知らずのうちに
2020.11.30

 アメリカ大統領選でトランプ大統領が敗れました。大統領本人ばかりではなく、多くの支持者はその結果を受け容れていません。少なくない人が陰謀論を掲げてトランプ大統領がインチキとかカルトと闘う英雄だと信じています(信じこまされています)。私も今まで、このようなことのミニチュアを経験したことが何回かあります。自分が実力以下に見られている、大切に扱われていない、落ち目にある今の状態を何とか食い止めたい、といった不満、満々の方が、必ずしもウソではない自分にとって有利な情報に尾ひれ背ひれを付けて何倍にも膨張させ、自分の功績をこれでもかと飾りたてたり、イケニエの欠点、失敗を責めることで自分への不満を転嫁したり、といったイヤなやり方です。陰謀論を主張する人の妙な自信、賞賛や中傷における魅力的すぎる表現、巧みな同調への誘導によって知らず知らずのうちに信じこまされてしまいます。
 
 私は最近、織田信長の義父である斎藤道三の小説を読んでいます。自分の所作や発言がどのように人にスゲェ!って染みこませコントロールするための影響力を最大化できるか?を妙に意識しまくる洞察を武器に下人から大名に登りつめた彼とトランプ大統領(彼は富裕な家庭に育ったようですが)に大きく重なるものを感じます。私は自分が他者に与える影響力のようなことに無頓着で、むしろ少しズルさを感じていたくらいでしたが、そのような人心掌握に全面的に頼ってはいけないものの、1つのテクニックとして知っておくことは、相手がそういったワザを繰り出してきたときに、例のアレだなと冷静に受け止め、相手を過剰に高く評価してしまうことへの免疫になると考えています。
 
 似たような例として私が社会に出た1996年の頃の企業文化の話です。当時はバブル崩壊の意識はありましたが、暫く持ちこたえれば、またあの素敵な成長軌道に戻るだろう、な根拠のない楽観が残っていたように思います。まさかその四半世紀後の今、横ばいの成長に留まっているだなんて当時としてみたら夢にも思えなかったことでしょう。(この間に日本のGDPは横ばいである一方、アメリカは約2.5倍、中国は約15倍に拡大しています。)そのバブルの香りが残っていた頃の就職活動や、実際の職場では妙に「協調」という言葉が踊っていました。最近は幾分弱くはなってきましたが、あるところには未だに歴然として残っている、絶好調の頃の「勝ち筋」を続けていれば間違いない、余計な意見、改善、変化は要らない、といった同調圧力が当時は強く感じられました。そういうことの多くが今の足かせとなって自らの首を絞めていることに気づき、もがいているケースが多いのではないでしょうか?

日本のGDP推移(単位:米ドル) 出典:世界銀行

 このような現状キープが優先される環境下では何が出来るかより、何が出来ないか?が誇張されます。成果への評価よりも、失敗への批判が大きい状態ですので、これまでと、周囲と、大きく変えることなく、前例を踏襲し、そこからはみ出す人を異端視する、安全運転が肝要です。減点主義。何かおかしいじゃない?と内心感じていたとしても、それを主張することは大きすぎる負担を伴います。ひょっとしたら変人扱いされてしまい、評価を落とし、活躍の場を奪われてしまうかもしれません。そんな中、おかしいな?って感覚も徐々に失われてしまうのかもしれません。思考停止。だから「勝ち筋」が変化しても、過去のそれに囚われ、一向に今にそぐうことが出来ません。そうしているうちに少しづつ、少しづつ組織、さらには個人の能力が削がれていくことになります。私は少しづつダラダラ失われていくより、早めの瞬時の絶望の方が余程マシだと考えています。再生に向けた覚悟、残された時間、つまり再挑戦への機会が前者に比べて圧倒的に大きいからです。
 
 カルトのように、考えること無く狂気を受け容れてしまい、その中にどっぷり浸ってしまっている状況において、その狂気は内部では常識です。外から眺めてみないことには、その異様さに気づくことは困難です。だから何かおかしいな?と感じたら、その違和感を大切にして、疑い、それでは一体、本来どうあったらいいのだろう?といった問いかけを各々が忘れないことが重要です。しかし、ごく範囲が限定された綺麗事、誇張された正義、異質への嘲笑に影響されることなく、自らを正常に保ち続けることは簡単ではありません。
 
 暗いところで飲むジュースの味は、明るいパッケージラベルが見えるところで飲むそれとは随分と違うという話しを以前、耳にしました。視覚による認識が偏見を助長させます。そう言えばペットボトルのラベルが環境意識の高まりによって撤廃されていく動きが昨今、活発になっています。そうなると環境負荷低減に効果的なのはもちろんのこと、さらにパッケージデザインに惑わされることなく本来の味を素直に感じられるようになります。人物に対する評価も、余分な虚飾を排しピュアなモノサシを大切にする方向に向かっていってくれたらと思うのはウブな綺麗事でしょうか?

ピンクフロイドのアルバム「狂気」